田中萬年先生キャンペーン実施中

ブログでのご紹介が遅れてしまいましたが,田中萬年先生よりご著書『教育と学校をめぐる三大誤解』(2006年)『働くための学習―「教育基本法」ではなく「学習基本法」を』(2007年,以上いずれも学文社をご恵送いただきました。ありがとうございます。

いずれも,人が働くために/働くことを通じて学び成長していくプロセスとしての「職業訓練」に定位する視座から,近代以降の日本の「教育」を批判的に再考する著書。「教育」という言葉の成立をめぐる考証を中心に,そこに込められた思想・理念の偏りや問題性をあぶり出し,今日の「混迷する日本の教育」を乗り越えていく提言にまで到達しようとする意欲作です。『三大誤解』が明治期を中心とした近代化当初の解明であるとすれば,『働くための学習』は日本国憲法教育基本法体制の成立過程を中心とした「戦後教育」を検討の対象としています。

加えて最新編著 元木健・田中萬年(編)『非「教育」の論理――「働くための学習」の課題』(明石書店,2009年)は,大変興味深い編集方針のもとに編まれた著書です。上記2冊の田中先生の提言のまとめともいうべき性質の第1章(「非教育の論理―『教育』の誕生・利用と国民の誤解」)が問題提起の主張として冒頭におかれたうえで,田中先生が指定した8人の論者がその問題提起を受けた「応答」の論考を寄稿し,最後に編者である元木・田中の両氏の対談が全体をまとめる,という構成になっています。ちなみに8人の論者とは,金子勝氏(憲法学,憲法科学論・平和的福祉国家論),木下順氏(アメリカ人事管理成立史・日本社会政策成立史),渡邊顕治氏(青年期教育),宮坂広作氏(社会教育学・生涯学習論),里見実氏(教育社会学・学校論,ラテンアメリカパウロフレイレ研究),山崎昌甫氏(産業教育学,職業訓練・企業内教育研究),佐々木栄一氏(比較教育学,ドイツ職業教育訓練),山田正行氏(社会教育学,労働教育・平和教育研究)の8氏です。

したがって,読む順番としては『三大誤解』→『働くため』→『非「教育」』というのが素直な筋ですが,むしろ現代の問題を考える際の論点の所在と展開とをまず考えたいという方は逆の順番で読まれたりするのが有益ではないかと思います。

しかも! はい,みんなちゅ〜〜も〜〜く!

田中萬年先生のブログ(職業訓練雑感 田中萬年の新ブログ)によれば(→http://d.hatena.ne.jp/t1mannen/20100518),定価の20%引き(+税),送料は無料(萬年先生負担),代金は現物到着後に郵便振り込み という超お得なキャンペーンが7月末まで実施中とのこと! 申し込むべし。購入希望の方は,上記↑当該エントリにアクセスして要領を確認したうえで萬年先生のアドレスにメールをお送りしましょう。こんなこと,ああた,ふつうありませんよ。

さらにさらに,しかも!

萬年先生ブログでの告知( 8/7『非「教育」の論理』執筆者を囲む懇談会のご案内)によれば,6月中に1000字以内の質問もしくは7月中に5000字以内の書評・評論を書いて萬年先生あてにメールで送付すれば,当日,その質問・論評とそれへの各(該当)執筆者からの簡単な回答とを掲載した「予稿集」のような冊子にまとめられる(そして,当然当日の議論にも反映される,もしもあなたが当日参加できれば,そこで直接議論の応酬もできる),という大変有意義な企画が用意されています。執筆者との直接の対話が可能で,しかも,それが文字として残る! ブログを介した論戦のような試みをオフラインでやっちゃおう,という田中先生ならではの 双方向! インタラクティヴ! な催しです。

萬年先生からの告知から,

同書の刊行に当たり、その問題をより広い立場から、教育や職業訓練に関心をお持ちの方々に議論して頂き、わが国の今後の“人間形成”のあり方を検討して頂ければ幸いと考え、標記の懇談会を開く事に致しました。

 日時 8月7日(土) 午後1時より

 場所 明治大学(神田キャンパス)

現下の参加予定者は里見実、金子勝、木下順、渡邊顕治、佐々木英一、山田正行の各位が参加下さることになっています。

つきましては、懇談会を有意義に過ごすために、事前に執筆者への質問を寄せて戴き、それらに簡単に回答して戴き、これらを纏めて事前にいわゆる「予稿集」のような冊子を作成したいと考えております。

参加をご予定頂ける方、また参加できない人であっても質問をお寄せ頂ければ幸いです。ご質問(1000字以内)の締め切りは6月中(厳守)とさせて頂きます。その後、執筆者に質問事項を発送し、回答を頂くことにしたいと思います。このことに関しましては執筆者の皆様には質問に回答して戴く事をご了解頂いていますので、ふるってご質問をお寄せ頂ければ幸いです。

その他、『非「教育」の論理』に対する書評のような評論、あるいは、同書や執筆者へのご意見であっても結構です。すでに宮坂広作先生が、同書にご寄稿頂いた論を明確にするために「日本の教育の歴史的性格と教育改革の方向」を山梨学院生涯学習センター紀要『大学改革と生涯学習』第14号(2010年3月)に掲載されています(pp.3−37)。この宮坂先生の論への論評も含めたいと思います。こちらの論や意見(5000字前後以内)の締め切りは7月中(厳守)とさせて頂きます(但し、ファイルで)。

ご意見、ご質問は事務の簡素化のために田中のメールへお送り頂きますようにお願い致します。

メールアドレス:tanaka1mannen@yahoo.co.jp

 質   問 締め切り 6月末
 意見・評論 締め切り 7月末

皆様のご参加、ご討論を心よりお願い申し上げます。また、お知り合いに本ブログをご紹介頂ければ幸いです。

ということですので,ご関心の向きはぜひ!

萬年先生には件の研究会にも一度お呼びして議論させていただこうかと考えています。幸いなことに先生からはすでにご快諾の旨,ご返事いただいております(←ありがとうございます)。正系の教育史研究とは違った角度からの「教育」史が描かれていることは間違いありません。まだざっと目を通しただけの状態ですが,なかなかスムーズに読み通せないというか,一つ一つの記述に立ち止まって考え込むことの多い著書です。突っ込みどころが多い,という言い方もできますが,徹底した視角のオリジナリティゆえに,教育研究者の側が〈理論的に〉考察すべき(なのに十分詰められていない)点を浮き彫りにしているように思います。田中先生の議論への批判的思考を詰めていこうとすると,私見では,とりわけ「教育機会(の平等)」という概念を問いなおさざるを得ないような地平へと至るような気がしています。

『三大誤解』と『働くため』の2冊について,出版社ホームページでも詳細目次がアップされていないので,ちょっとご紹介しておきましょう。

『教育と学校をめぐる三大誤解』学文社,2006年4月。


まえがき――忘れられた学問のための「文部省」と「学校」


第1章 文部省の成立と変質
 1 奈良時代の「文部省」は教育の官庁ではなかった
 2 文部省設立の経緯
 3 近世以降の「教授=学習」概念の用語
 4 「学問」のために設立した文部省
 5 「文部」省採用の意味
 6 「教育」の省に変質した文部省
 7 戦後改改革では改称に至らなかった


第2章 学校の成立と変質
 1 「教育」のためではない試行的学校
 2 「学問」のために設立した学校
 3 「学問」政策下の「立身出世」の鼓舞
 4 学校焼き討ち事件の拡大と鎮圧
 5 「教育」政策下の「立身出世」の鼓舞
 6 「夢」に破れた人への慰め
 7 学校は「教育」を受ける所ではなかった


第3章 「教育」とは何か
 1 孟子が創った「教育」は国王の“楽しみ”だった
 2 中国では「教育」は使われなかった
 3 日本での「教育」の使用
 4 人民への「教育」の浸透
 5 中国は「教育」を日本から逆移入した
 6 各種辞事典における「教育」の定義
 7 「広辞苑」の「教育」の定義は変化している


第4章 “Education”とは何か
 1 各種辞典における“Education”の定義
 2 ウェブスターの“Education”の定義は発展する
 3 “Education”の鍵概念は「開発」と「職業」である
 4 イギリスでは労働者の学習から学校教育が発展した


第5章 「教育」は“Education”ではない
 1 「教育」と“Education”との出会い
 2 中国では“Education”は「教育」ではなかった
 3 中国では「教育」は“Education”ではなかった
 4 福沢諭吉は「発育」であるべきと主張した
 5 「教育」と“Education”との同定
 6 “Education”観の欧米における実情
 7 徒弟制度による仕事の伝授が“Education”的だ


第6章 工場における「学校」の成立
 1 近代化と技術・技能の伝承
 2 三菱工業予備学校の成立
 3 「工場法」と義務教育
 4 「重ね餅システム」の定着


第7章 社会における「学校」の成立
 1 再び「学校」とは何か
 2 「社会的不運者」のための能力形成
 3 実践実習を組み込んだ授産・輔導施設
 4 学校的実習を組み込んだ技術講習施設
 5 “生涯教育”の始まり


おわりに――真の「学校」改革のために

『働くための学習――「教育基本法」ではなく「学習基本法」を』学文社,2007年10月。はじめに


第1部 キョウイクを探究する世界の動向

序 日本の常識は世界の非常識


第1章 世界の人材育成とキョウイク
 1 世界の人材育成
 (1)フィンランドの個性尊重と職業教育
 (2)オーストリアの就職志向とデュアルシステム
 (3)フランスの職業視角と見習工訓練
 (4)オランダの個性尊重と職業訓練
 (5)デンマークの自立尊重と職業選択
 (6)現代に続くアメリカの徒弟制度
 (7)徒弟制度定着の土壌―イギリスを例に
 2 区別しなければ差別になる個性尊重の“Education”観
 3 区別すれば差別になる日本の「教育を受ける権利」論


第2章 国際的規程における労働権と教育権
 1 わが国の教育権論における労働権の無視
 2 「世界人権宣言」における労働権と教育権
 3 “社会権規約”における労働権と教育権
 4 ユネスコの「成人教育宣言」における職業能力開発
 5 ILO職業訓練と技術教育
 6 ユネスコ「技術教育及び職業教育に関する条約」
 7 教育と生産労働の相互作用


第2部 教育問題の基本的課題
序 “ニート”は日本にいない!


第3章 職業的自立観を否定する「教育を受ける権利」
 1 国際規約にない「教育を受ける権利」
 (0)堀尾輝久氏の「教育を受ける権利」論
 (1)“ソビエト憲法の場合
 (2)「世界人権宣言」の場合
 (3)「世界人権宣言簡易テキスト版」の倍
 (4)子どもの権利条約の場合
 (5)フランス教育基本法の場合
 (6)ドイツでの異訳
 2 「教育を受ける権利」の提起
 (1)主要憲法改正案における教育条項
 (2)憲法問題調査委員会における教育条項
 3 マッカーサー草案になかった「教育を受ける権利」
 (1)マッカーサー草案の提起
 (2)政府改正原案の起草
 4 「教育を受ける権利」の国会審議
 (1)国会審議過程の概観
 (2)すべての政党に支持された「教育を享ける権利」
 (3)「教育を受ける権利」への疑問はあった
 (4)日本国憲法の可決と教育への無関心
 5 職業的自立を促さない「教育を受ける権利」


第4章 労働を目的としない「勤労の尊重」観
 1 職業を分離した「学問の自由」
 2 「日本国憲法」における「勤労」の概念
 3 「教育基本法」における「勤労の尊重」
 4 「学校教育法」における「勤労の尊重」
 5 「勤労の場所の教育」を翻訳しなかったGHQ
 6 教育の目的としての社会生活
 7 就職を尊重しない学校教育


第5章 実学軽視の「教育内教育」観
 1 「義務教育」による「実学」の軽視
 (1)義務教育と労働論
 (2)「日本国憲法」審議における「義務教育」
 (3)国際的規程に「義務教育」はない
 2 「普通教育」論による「実学」の軽視
 (1)「普通」とは何か
 (2)「普通教育」の法令化
 (3)日本国憲法における「普通教育」の規定過程
 (4)国際規程にない「普通教育」
 (5)普通教育では就職できない
 3 「教育の機会均等」の偏狭観による「実学」の排除
 4 単位制の曲解による実学の忌避
 5 実習不要論となる「実習」の定義


第3部 改革の視座と方略
序 「学問」から転換された「教育」の問題


第6章 教育改革論の系譜と労働・職業論
 1 福沢諭吉の「発育」論と実学
 2 勝田守一の「人間性の開発」論と能力論
 3 臨時教育審議会の「生涯学習」論と職業能力開発
 4 現代教育改革論の多様性
  A 「教育」拒絶論
  B 「学習」論
  C 「教育」改革論
  D 「教育」改善論
 5 永六輔氏の新語造語論と伝統の尊重
 6 鶴見俊介氏の「教育」再定義論と職業観
 7 「教育」がふさわしい教育
 (1)平和教育
 (2)企業内教育


第7章 鈴木安蔵の労働権と「教育」の回避
 1 「憲法草案要綱」と日本国憲法
 2 鈴木安蔵と「憲法草案要綱
 3 労働権と「教育」の回避
 4 「教育」の問題と「回避」の意味
 5 労働権の強調と学習の保障


結章 “働くための学習”を支援する「エルゴナジー」
 1 改正「教育基本法」では改革できない
 2 教育改革は「教育」の使用停止から
 3 「教育学」の問題
 4 「エルゴナジー」の概念
 5 「エルゴナジー」の位置と構造
 (1)基盤学問としての工学,社会学,経済学の三領域
 (2)人権としての「生存権」,「就労権」,「学習権」と「仕事を学ぶ権利」の四層構造
 6 「エルゴナジー」確立の社会的条件


おわりに


資料
 1 マッカーサー草案(抄)・日本語訳
 2 「日本国憲法」(抄)・公式英訳文
 3 「世界人権宣言」(抄)・英語訳

どうです? 面白そうでしょう?

議論の具体的な中身についてのエントリはいずれ行うことにして,一つ,苦言(?)を呈しておきたいと思います。これらの本の主張の根幹は「教育」という言葉の誕生とその利用・普及が取りこぼしてしまった「働くこと」の学び,職業訓練を通じた学習,労働へと指向する成長=人間形成,といったものの在り処を回復させるところにあるのは明確なのですが,ときに(というか,しばしば),そのような「教育」の誕生・利用・普及ゆえに日本の教育がもうどうしようもなく混迷し,他国と比較してもまったくダメダメなのだ,という現実認識を検証不要のデフォルトとして議論を展開させていくきらいがある。裏を返せば,そのような「教育」の誕生・利用・普及といったプロセスが発生せず職業教育・職業訓練が適切にも重視されている欧米諸国ではそのような混迷や問題が生じていない,かのようなニュアンスをまき散らすきらいがある。

だが,これは私にはとても受け入れがたい前提だ。

少年犯罪,校内暴力,学力形成,失業率,コミュニケーション能力,その他......なんでもいいけれども,こういった子ども・若年者を取り巻く客観的状況を示す指標のうち,日本が「欧米」に対してそれほどまでに劣っている現状というものを,私は(寡聞にして)知らない。日本のほうが良好な状況を示す指標は多く知っているけれども――ドイツの職業訓練制度の充実という事実は疑いようもないが,同時に,PISAに代表される国際学力テストの彼の地における子どもたちの結果のひどさや,若年・貧困層にみられる右傾化傾向,といった現実が裏面に張り付いていることはきちんと踏まえたい。若年失業率,「ニート」発生率にしても,欧米が良好で日本(のみ)が問題,といった誤解を生みがちな記述はとてもニュートラルとは思えない。少なくとも,日本の子どもほど法規範を遵守し,日本ほどの経済/人口規模の先進国でここまで学力パフォーマンスの高い国家はない,という程度のことは前提として押さえておきたいものである。

自分の主張したい提言が教育政策・教育制度に盛り込まれていないために日本の教育や子どもたちはこんなにひどいことになっている,といった類の論じ方は,基本的に「トンデモ教育論」の常道なので,あまり使わないほうが身のためである。そのうち後藤和智氏あたりに見つかりでもするとこっぴどくやられる。

田中先生ご自身の記述にはそれほど目立たないのだが,『非「教育」の論理』の「序――本書の意味するもの」(元木健氏執筆部分)はひどい。とくに最初の1頁(4頁)はひどい。いきなり「日本の教育が怪しくなって来ている(←おかしくなってきている,と読む)」である......へえ〜〜知らんかった,ってなもんである。

私は最初ネット上で『非「教育」の論理』の評判を目にし,恥ずかしながらそれまで田中萬年先生のお書きになったものを参照してきていなかったので,あわてて勉強しだした,という体たらく...ではあるのだが,もし仮にリアル書店の書棚にあった本書を手に取り,「序」から順番に中身をざっと見てから買おうか決めようとしていたとしたら,この最初の1頁でまず間違いなく捨てていたと思う――“トンデモ”臭(←というのものがあるんです)がきつすぎる。日本の「職業教育・職業訓練」軽視に問題があるのは明らかなのだから,余計な“トンデモ”を繰り広げることなく,“そのこと”を論じればよい。「売らんかな」の気持ちも分からないではないが,「こいつバカだ」と思われてしまえば元も子もない。

著書の“中身”は真剣な批判的検討に価するオリジナリティあふれる議論が展開されていますので,みなさん,2割引きキャンペーン中に田中萬年先生あてに著書の発注をしておきましょう。ついでに,『非「教育」の論理』のほうも購入してはいかがでしょう。

最初の1頁はやぶって捨てちゃえばいいんです。

教育と学校をめぐる三大誤解

教育と学校をめぐる三大誤解

働くための学習―「教育基本法」ではなく「学習基本法」を

働くための学習―「教育基本法」ではなく「学習基本法」を

非「教育」の論理 (明石ライブラリー133)

非「教育」の論理 (明石ライブラリー133)