『比較教育社会史研究会通信』をあなたも読むことができますよ。

『比較教育社会史研究会通信』第9号が送られてきました。いつものことながら,ご苦労様です。3月下旬に開催された春季大会の報告号です。私も場違い感まる出しながら,「松塚俊三・八鍬友広(編)『識字と読書』合評会」(2-4頁)という小文を寄稿しています。ご笑覧ください。

今号から大きく変わった点は,この『研究会通信』のデジタル化が実現したということでしょう。本研究会を立ち上げからずっと牽引されてきた橋本伸也さんの勤務する関西学院大学リポジトリに登録されました。橋本さんが関西学院大学に着任された2007年発行の第6号から最新号まで,すべて閲覧することが可能になっています。

第6号→http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/handle/10236/3800
第7号→http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/handle/10236/3801
第8号→http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/handle/10236/3802
第9号→http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/handle/10236/3803

その分,紙媒体の『通信』の送付対象者はだいぶ絞られたようです。しかし,本研究会に継続的な参加をしていない人にも『通信』が読まれるようになった,ということの意義のほうが断然大きいでしょう。いい時代になったもんです。

寄稿されているのはほんとに「小文」なのですが,実際の研究会で行われている報告内容の水準と,まあ私はさておくとしても,寄稿されている方々の水準の高さとが,この『通信』を一読してみるに値する,独特の媒体にしているように思います。残念なのは,初期の頃の『通信』がリポジトリに未登録である点でしょうか。あの頃は比較的「ひと仕事なした」研究者の方々の講演や寄稿が多かったように思います。

第5号あたりから(たぶん橋本さんの方針で),「若手」的位置の人が意識的に執筆者として名指される頻度が上がったように思います(私が以前寄稿したのも第5号だったように思います)。どちらもそれぞれに興味深いのですが,この間の研究会の変遷を知るという上では,やはり登録範囲が拡大されるのが望ましいのはいうまでもありません。

今号では山崎和美さん(財団法人中東調査会)が執筆された「セッション『イスラーム圏と教育』」は大変興味深く読ませていただきました。この「イスラーム圏」セッションにしても,書かれている内容などほとんど実質的には何一つ私には理解できていない,といっても過言ではないような状況です。にもかかわらず,なぜ私がこの研究会に関与し続けているかというと,それは,“自分にはわからない(ことがこれだけある)”という経験をきちんと積む,という目的に尽きます。

ナショナリズム」の問題など,「日本の」「社会学」者の議論は,自分の知っている日本の事例をもとにして“しか”考察しない傾向があるので,ほとんど国際的には通用しないような狭い前提の議論にしかなっていないことが多い。というより,「ナショナリズム」というのは本来的に「個別的な」現象なのかもしれません。だとしたら,われわれが求めるべきなのは,「個別性」を突き詰めることによって「普遍性」の次元を志向すること――地道に個別の事例を積み上げつつ考察の前提となっている理解の地平を広げていくことしかありません。そういう営みを遂行していくために,この研究会ほど得られるものが多い研究ネットワークは(少なくとも,今の私にとって)他にはありません。

今号には橋本伸也さんの大著『帝国・身分・学校』合評会の模様レポートも寄稿されています。この合評会に出て初めて認識できたことが一つあります。それは,「橋本伸也は(たぶん)ロシア教育社会史における“天野郁夫”である」というテーゼです。ちょっとキャラも似てきました。この合評会では,最近の若手歴史研究者の「アーカイヴ至上主義」という記念すべき発言が出まして,さすがにこの言葉には若干のけぞりましたが,この“のけぞり”感,どっかで知ってるぞ,と7秒ほど考えて気づいたのが,「あ,これ天野先生だ」......という結論でした。

念のため申し添えれば,もちろん,ここで橋本さんが「アーカイヴ至上主義」といって揶揄するのは,「アーカイヴに入ったってなんになる」なんていう,愚かな(それができない自分を自己正当化するための)動機に発した発言などではありません(←ですから,「やったらできる人」以外がこういうことを言うと目も当てられなくなりますから,やめましょう。上級者向きの発言です。社会学の場合,「統計なんて...」でやりそうな人が出てきそうですが,自重/自嘲しましょうね,ちゃんと)。

まあ,そのあたりの“皮肉”と“真摯”の混淆具合が,私が学部生・修士の頃の天野先生の域にまで達してきました。

さては,もしかして,橋本さんも「偉く」なってきましたね?

識字と読書―リテラシーの比較社会史 (叢書・比較教育社会史)

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民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

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帝国・身分・学校 -帝制期ロシアにおける教育の社会文化史-

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