シラバスお蔵出し――あるいは「各論に落とす」こと

職業教育や職業訓練が重要であることは論をまたない。人は一生教育制度・訓練制度のなかに閉じこもったまま生涯を終えるわけではなく,ほぼすべての人は,いずれ「社会に出る」という名の職業への移行をはたすわけであるから。にもかかわらず,戦後日本の教育論議や教育政策において,それが不当に低く評価されてきたのだとしたら(いやされてきただろう),それは正さなくてはならない。

教育社会学において,そうした議論の先鞭をつけ,今現在その議論のトップランナーであり続けているのは,いうまでもなく本田由紀さんである。『教育の職業的意義』(ちくま新書,2009年)はそんな本田さんの議論のエッセンスを一般向けに書き下ろした渾身の一冊である。「職業的レリバンス」論の提出というのは,教育論議や政策提言への貢献という面で意義があるだけでなく,アカデミズムにおける教育社会学という一つの学問領域にとっても,「選抜・配分」系の研究が取りこぼしてきた「社会化」の次元を研究対象の視野に入れなおし,新たな方法論を彫琢するという方向性を見据えるうえで重要な問題提起となっている(ことは,すでにこのブログでも触れた)。

とは思うのだが,正直に言うと,「職業的レリバンス論」という名の「論」にまともに向き合っていこう...という積極的な姿勢にはなかなかなれない。

一つには,「職業的レリバンス論」を具体的に展開していくだけの“材料”が(まだ)ない,ということ。方法論もない。それはおそろしく根気と労力のいる地道な仕事になる。そうした手持ちの道具を手にする見通しが立たないなかで「論」だけ展開していこう,などという蛮勇をふるうだけの豪胆さは幸か不幸か持ち合わせていない。“材料”がなくとも「重要性がある」ことだけは確かなのだから(←直観!実感!),とにかく「論」の展開と啓蒙とを推し進めていくのだ,という“政治主義”は,おそらく,いずれ手痛いしっぺ返しをくらう。それが許されるのは,一度/一瞬だけ。その「一瞬」の“政治主義”が時間を稼いでくれている間に方法論を彫琢せねばならないのだが(ほんとうは),しかし,そのような小手先の“政治主義”が有効に継続しているという事実自体が,通常労多くしてなかなか短期的成果を挙げることが困難な地道な方法論の彫琢と知見の蓄積とを推し進めていこう,というアカデミックなインセンティヴを阻害する。そんなもんがなくても現実を動かせているのなら,誰が好んでそんな益薄いことに死力を尽くそうか。

もう一つは,本田さんの上記著書(←非常に真摯な書物であることは疑いようがない)のある部分に対する違和感,とでもいおうか。教育課程・教育制度や労働市場の再設計に向けた彼女の提言の核となる「柔軟な専門性 (flexpeciality)」の概念――の“論じられ方”に対する違和感。

徹頭徹尾の「一般論」......は重要だ。しかし,ことは教育課程編成の原理でもある(195頁),というのでしょう? そうであれば,それをもとに具体的な教育課程の編成レベルにまでブレイクダウンすることが可能であるような形で提示されなければ「原理」としての意味をなさない。「総論」に異議はない(一体どこの誰がこんな素晴らしい“理念”に唾することができようか)。しかし,この「総論」の一体どこに具体的な「各論」を生みだす「原理」を見出せばよいのか――その筆致の真摯さにもかかわらず,問題を「各論に落とす」ための道筋をつけようという姿勢が行間から滲み出てこない,というこの読後感。

「柔軟な専門性」概念は,本書のなかで(本田さんが打破したいと念じている)複数のありとあらゆる立場からの「教育の職業的意義」批判派(=軽視派)との言説闘争上の賭金となっている。あらゆる角度からの批判を跳ね返し論破しようとするその度ごとに,「柔軟な専門性」概念の「柔軟」も「専門」も臨機応変,召喚される。その論理内在的な結果として,「柔軟な専門性」概念は論じる文脈に応じて伸縮自在,融通無碍で,それゆえ(本田さんの真意にも関わらず)実質の無内容な“理念”へと堕している。

こういう揚げ足取りはしたくないけれど,ここまで一般論のレベルで「専門性」を「柔軟」に把握してしまうと,たとえば一般就職して働く進路を予定している学部学生に向けて,一体何が将来役に立つやら皆目見当もつかない(っていうか,教師自身がそんなもの一度も考えたことすらないような),ひたすら「社会学」の(←哲学の,でもいいよ)研究者養成に偏した「アカデミック専門教育」を行うことだって「職業的レリバンスがある」と強弁して正当化できてしまう。「社会学の(←哲学の,でもいいよ)大学の先生」だって職業なんだから,“そんな感じ”の教育実践であったって「職業と一定の関連性をもつ専門分野に即した具体的な知識と技能の形成」に役立っていない,などとはいえない。そして,そういう教育がもたらす「暫定的な」(大学教員用の)職業的専門性を「とりあえず」身につけること,そこを言わば基地として,隣接領域やより広範な領野への拡張を探索していくこと(←178頁の論述をまるまるコピーした),それこそ「柔軟な専門性」であるというのなら,一体ぜんたい,これまで「職業的レリバンスの欠如」の象徴のように扱われてきている既存の大学専門教育の一体どこに問題があるのか,という結論に論理内在的な帰結として辿りつく。本田さんの「教育の職業的意義」とか「柔軟な専門性」という概念はその抽象性と観念性とのゆえに,それがまさに打破したいと念じているはずのそういう教育実践を,そういう実践こそを,そのままで延命・増殖させる結果になってしまう,という逆説。

で実際,個人的には(たとえば社会学の,←哲学の,でもいいよ)大学教員再生産用の専門教育って職業的汎用性は高いと思うし。なんか,あたかも大学の哲学教育は職業的レリバンス欠如教育の象徴みたいな言い方をする人がいるけれど(「哲学なんて就職する学生にとって一体なんの関係があるのか」),それは,既存の哲学の(←社会学の,でもいいよ)大学教員再生産用のアカデミック専門教育に職業的レリバンスが“ない”のではなく,既存の大学レベルの哲学教育が哲学の大学教員を再生産するというつもりすらない,その程度の水準のアカデミック教育にあぐらをかいてきた,ということだと理解すべきではないですか? (理系は知らんけど)日本の既存の大学における人文学・社会科学教育の問題点って,むしろそこでしょう。大学教育を提供する側の「どうせ教養なんだから...」という無言のエクスキューズが延命させてきた,怠惰な「専門教育」。

閑話休題

こういうのを揚げ足取りだとして唾棄したいのであれば,あるいは,「そこで重要なのは,教育の外部社会の変化や流動性を鑑みるならば,そうした特定の専門分野に関する教育は,過度に狭い範囲に固定的に限定されたものであってはならない」(193頁)という主張にも“職業教育の実効性”を担保するための保障を与えたいのであれば,ここで「過度に」という程度問題への言及が挿入されていることにも現れているように,どのような/どの程度の「柔軟性/固定性/範囲の広さ・・・・・・etc.」なのか,という「各論」を提示することなしにはすまされないはずではないのか。もし,そのような具体的な各論レベルへのコミットがないのであれば,残念ながら本田さんの「教育の職業的意義」とか「柔軟な専門性」の概念も,「「無限の発達可能性」「人権としての学習権」といった教育学独特の理念」(170頁)と同じく,十分に抽象的で,かつ外部とのつながりを失って自閉してしまっている“理念”である,というしかない。

「あとがき」より。

私は教育社会学を専門とする者であり,社会的な問題状況をデータによって示すことはできても,それらの問題に対して教育の分野で対処するための具体的なカリキュラムや教育方法を,仔細に提示できるわけではない。それゆえ,この本で主張されている「教育の職業的意義」や「柔軟な専門性」などの概念も,私が批判している「キャリア教育」や「人間力」と同様に,抽象的で曖昧なものにすぎないという印象を読者に与えるかもしれない。それを思うと苦しい。(223頁)

苦しい? なにが? 

本田さんは本書の行論で,小玉重夫さんに代表される「シティズンシップ教育」の提唱者を名指しで批判してこう述べている――「教育の職業的意義」という本来教育学が正面から引き受けるべき課題を回避して,

「教育の政治的意義」へと迂回する教育学は,そのような泥臭い課題に取り組むことを避け,高尚で耳触りのよい「シティズンシップ教育」に再び閉じこもろうとしているようにも見受けられる。(173頁)

同じ言葉をそのまま返そう。具体的な教育課程の編成,カリキュラムの作成,シラバスの提示,教育方法の開発...(以下省略)...そのような泥臭い課題に取り組むことを避け,「教育の職業的意義」へと迂回する「職業的レリバンス論」は,無内容で耳触りのよい「柔軟な専門性」の提唱に自ら進んで閉じこもろうとしているようにも見受けられる。

職業教育の意義を政策提言にまで盛り込もうと,未開のフロンティアを切り拓き孤軍奮闘してきた,そして今も奮闘している著者に対して,これは不当な批判だろうか。ないものねだりなのだろうか。

けれども,私はここで,学者としての著者に要求しているのではない。教師としての著者に要求しているのだ。

誰も工業高校のカリキュラムを作れなんて言わない。言ってない。私たちは(私も本田さんも)幸いなことに「教育社会学」を看板にあげさせてもらえるわけだから,それで遂行できる「職業教育・職業訓練」のカリキュラム(=シラバス)を編成し,提示し,実践すればよい。重ねて幸いなことに,いろいろな「職業人」育成に関係できる専門である。家庭裁判所の調査官補とか,学芸員とか,あともちろん「教師」とか。

苦しむというのなら,そういう実践に文字通り全力を投じることをもって苦しむべきである。抽象的にしか書けてないから苦しいなんて,脱力するにもほどがある。東大の組織がどうなっているか知らないけれど,やろうと思えばやれるでしょう? 「教育社会学」の内容に対して職業人養成のための「職業的意義」を充填していくためのカリキュラム/シラバス編成と教育方法の開発。「教育社会学」の内容に即した「柔軟な専門性」概念の実装。

私は4年間という短い期間ではあったが,教員養成教育という名の職業人育成教育を実践した。たぶん全力でやっていたと思う。われわれが論じるべき課題は,「どういう風に」という具体が重要なので,ここまで勝手に述べてきた内容をめぐって本書の著者に対しフェアであるためにも,以下に私が4年間の試行錯誤の末に組み上げた(っていうほどでもないが,いやほんとに),教職科目3科目のシラバスおよび最終評価試験の問題を公開しようと思う。こういうのは必然的に自分の無知と力不足を公にさらすということを意味するものでもあるが,そうすることを通じてしか教育実践の力はつかない,と力強く断言していた小・中学校の現場あがりの実務家の先生の言葉を真摯に受け止めることにしよう。

教員養成のカリキュラム構造全体への言及を展開していく余裕は今はない。本当はそこがスタートラインなのだけれども。そのうちやりたい。ここでは自分が関与した部分だけ,かいつまんで説明する。つまり,所与の教員養成という「職業教育」の構造を与件として,の話に限定する。その枠組みのなかで,担当する科目の“中身”をどのように実装していくか,という技術論である。

教員養成カリキュラムを大まかに「教職に関する科目」と「教科に関する科目」とに分ける(その他に「又は科目」とかテクニカルにはいろいろあるけどそれは省略)。前者は「教職」という職業直結の科目であって,私が(というか教育社会学者が教員養成に携わる場合には通常)担当するのは,こちらである。

以下を参照していただくと,科目名のあとに(初等)(中等)というのが追記されているが,これは前任校において初等教員免許と中等教員免許のどちらに対応している科目かを示す表記で,(初等)と(中等)と違う追記がある科目は,科目として「異なる」ということである。私個人が双方とも担当していた場合は(初等/中等)と表記しておいた。ただし,講義を受ける学生の進路は,そのほとんどが初等教員である(兼担でやっていた他学部はむしろ中学・高校教員メインになるが)。そして,岐阜県ではとくにその傾向が顕著だが,近年は義務教育段階の小学校・中学校を横断する人事配置(要するに小学校教員で採用されても中学校で勤務することもあれば,その逆もまた真なり)が一般化しつつあるので,想定しなければならないことは,「小学校教員になるとはいっても,中学校でもいずれ必ず教えることになる」という未来の事態である。また,(初等)と(中等)の内容の違いはシラバスには反映されないが,講義中に話される中身の違いとして現れる。いずれの科目もシラバスだけでなく,あわせて最終評価試験の問題を付記した。ここから翻って,講義で展開された議論の具体的な中身を推し量ってほしい。

最終試験は最終週の1週間前(つまり第14週目)に事前発表する。試験形式で実施する場合は,他人のノートのコピー以外はなんでも持ち込み可で実施していた。つまり,事前に答案を作成しておいてそれを持ち込み「写す」というのも認めていた。この場合,90分という試験時間中に書き切れる分量,というのが事実上の字数制限となる。

2年目の後期からは,同じ形式で問題を発表し,ただし最終試験の週に90分という時間制限のもとで答案を作成させるのではなく,最終試験の集中する週が終わって2日ぐらい余裕をみたあたりに提出期限をきった締め切りを設定した「最終レポート論文」として提出させるようになった。理由はいくつかあるのだが,端折っていうと,前任校では複数の免許を取得するために,学生は皆ものすごい過密時間割で単位を修得するはめになる(←まあどこの教員養成大学も多かれ少なかれそうだが,前任校はまた想像を絶して極端である。免許4つとか使うわけないんだから,とんなよ,そんなにw)。必然的に最終週に試験が集中するわけだが,結果,一つの科目に割く準備がどうしても中途半端なまま試験を迎えてしまう。「もりせんせいのはちゃんと答案を書きたい試験なので,締め切りをずらしてください」という学生の声に押されて,そのように代えた。

その結果,以前と比べてどうなったか。

結論だけ言うと,すんんんんん・・・(以下省略)・・・ごく答案の質が上がった。それと,コピペが皆無になった。それまでもネット上からのコピペはなかったけど,「友だちコピペ」が消えた。独力で答案を作成する度合いが高まった,ということである(←このことの含意を展開するのはいずれまた)。手書きで書かせて提出させていたのだが(そこに込めた「教育的意味」についてもここでは割愛),これまでの最高分量は,B4裏表に細かい字で9枚(!)というのが記録である。冗長なら減点するが,減点するスキもなかった。ほぼ満点だ。つまり,彼女(この答案作成者は女性の学生)は「勉強した」,ということだ。

以下,(文字通り)ご笑覧ください。

「教師論」

「教職の意義等に関する科目」に対応した前任校における講義科目。教育職員養成審議会の答申を受けて1998年より新設された科目。内容に含めることが必要な事項は,「教職の意義及び教員の役割」「教員の職務内容(研修,服務及び身分保障等を含む)」 「進路選択に資する各種の機会の提供等」の3点。教職科目全体のなかで1つの科目に3点もの事項を含めることが要求されているのは,この科目だけである。どういう経緯で新設された科目であるかは,この科目に寄せられた「趣旨」に目を通していただくとある程度理解できるだろう。いわく,「教職の意義や教員の役割,職務内容等に関する知識の修得を通じ,教員を志願する者が教職についての理解を深め,将来教職に就くことについて多角的に考察する過程を援助し,動機付けを図るもの」であること。いわく,「職場の実体験・類似体験や他の職業との比較などの機会を教員を志願する者に与えることにより,自らの教職への意欲,適性等を熟考させるとともに,最終的な進路選択について指導・助言するもの」であること。いわく,「『現在の教員には何が求められているのか』,『学生自身が教員としての適格性を持つためにどのような努力をしていけばよいのか』といった事項を,当該区分の授業科目の講義概要(シラバス)で示すこと」。以上である。

要するに,(「趣旨」を表層的に読めば)「心構え」と「実体験」重視の,言いかえれば,講義担当者の「学術的専門性」がもっとも要求されない(ようにみえる)科目である。教育社会学専攻の私が前任校でこの科目の担当者になったのはもののはずみ,でなければ,他がみんな敬遠したから(「誰でもできるのに,なんで俺がやんなきゃなんねえんだよ」)みたいな感じ?(←妄想)。実際,この科目をはじめて担当することになって立ちすくんでいたとき,いろんな大学のこの科目のシラバスを調べつくしたけれど,だいたいみんなおざなりっぽいアウラを発していた。元小・中・高の教員をしていた実務家教員が1人で自分の実体験にもとづいたお説教スタイルの講義を繰り広げているか,複数の担当者(国立大学などでは大学教員ではなく付属学校の教員のみによるものもあった)がオムニバス形式で相互に関連づけられてもいない個別の話題を3人×5回=15回か5人×3回=15回,話を聞かせてお茶を濁すか,のいずれかだったりした(当時はね,今は知らんよ)。

しかし,やってみれば分かるが,非常に重要な科目だ。なにせ自分が就こうとしている職業の「意義」を修得するのである。私の前任校では1年生全員が受ける必修科目,いわば教員養成の世界への導入科目であった。この科目の成否が,その後の学生たちの教員養成教育へのモチベーションのかなりの部分を規定してしまう――大学の教員養成教育の試金石だというつもりでシラバスを作成し,講義を行なった(まあひらたくいうと気負ってた,ということ)。かつてこのブログでも述べたが,いろいろ呻吟したあげくに辿りついた試みが,「林竹二」のエピソードを講義計画の冒頭にもってきて,彼が兵庫県湊川高校で行った授業「人間について」をそのまま私が“再現”する,というのを3回目に実施することにした(今でも授業「人間について」はかなりの部分,講義ノートなしで再現できる。無駄な熟練w もちろん一言一句正確にというわけにはいかないが)。

また,これもこのブログですでに紹介したことだが,前任校は教員養成GPが採択されていて,豊富な実習機会が1・2年生で用意されていた(1年時は「学校ふれあい体験」という3回にわたって終日,公立小学校の日常に参入して文字通り「子ども」と「学校という世界」と“ふれあう”実習)ので,講義シラバス中の第2部・第3部は,この実習での経験をふんだんに盛り込んだ内容として講義ノートは作成されている。

また第4部「効果のある学校」論では,当時「効果のある学校」研究を遂行中だった大阪大学の志水宏吉さんたち研究グループによる研究報告を,資料・データとしてふんだんに配布して議論していた。たぶんこのグループの資料を全国で一番使ってた人だと思う...大阪大学よりもw

この「林竹二」と「学校ふれあい体験」と「効果のある学校」論の(とくに各学校の事例)部分が,私のシラバスに反映された「進路選択に資する各種の機会の提供等」の事項である。おわかりか?

「教師論(初等/中等)」シラバス


講義概略
  皆さんは小学校から高校まで12年にもわたって教育を経験し,多くの教師にも接してきたことでしょう.しかし,それはあくまで教育を「受ける」側としてでした.この「教師論」では,これから教師を目指す皆さんが,実際に自分が教壇に立つ立場になることを前提として学校教育の機能や学校現場・子どもの現状を改めて捉え直し,職業としての教職の独自性,社会的意義・役割を自覚すると同時に,実際の教師の具体的な職務内容について,その全体像を理解することに努めます.その際,とくに公立義務教育に固有の問題に重点をおいて考察します.
  公立義務教育学校は原則として地域に住む「すべての」子どもがやってくる,その意味で社会の共生原理を具現化した空間であり,子どもとその家庭環境の多様性を特徴とします.近年の社会変容や義務教育改革の進行のもとで家族や地域社会と適切な関係を構築しつつ,子どもとその家庭環境の多様性がもたらす教育上の可能性と課題とを具体的に理解し,子どもの成長の過程を支援していくために教師はいかにあるべきか――それを常に自らに問い続ける姿勢が教職に携わる者としての当然の職業倫理として皆さんの中に形成されることを期待します.


評価方法
授業への参加度(各回の講義に対する感想・疑問・意見を書いたレスポンス・カードを提出してもらいます)20%,中間レポート30%,期末レポート論文50%


授業計画詳細
第1部 義務教育における教職の意義;発達可能性の〈生得的〉条件を内破する子どもへの支援者
第1回 イントロダクション;「子どもの多様性」と「社会の共生原理」
第2回 林竹二の“授業巡礼”(1);ある義務教育批判から
第3回 林竹二の“授業巡礼”(2);授業「人間について
第4回 教職の意義,教師の役割;教師に要求される職務の多元性


[目標];30年前の日本で1人の老教師が行った授業にまつわるエピソードの現代的意味を考察し,公立義務教育における「教職の意義」と「教師の役割」を理解します.
[事前準備〜発展的学習のために];文献(1)〜(3)の読了と考察.


第2部 教員の職務,教員の文化;よき支援者であり続けるための条件
第5回 「指導」の文化(1);学習指導・生徒指導の国際比較
第6回 「指導」の文化(2);日本の教員文化の長所と問題点
第7回 教員の地位・身分,服務と労働条件(1);地位・身分と服務
第8回 教員の地位・身分,服務と労働条件(2);研修と労働条件
第9回 現在の義務教育改革がもたらすもの(1);教育基本法の改定
第10回 現在の義務教育改革がもたらすもの(2);新自由主義新保守主義改革


[目標];他の専門職や他の社会の教師との比較をつうじて教師の職務内容の全体像を理解するとともに,現在の日本で進行中の義務教育改革が子ども・学校・教師に何をもたらすのかを考察して,教師の職務を改めて捉え返します.
[事前準備〜発展的学習のために];文献(4)〜(7)の読了と考察(義務教育改革に関する中間レポート).


第3部 出身階層という〈生得的〉条件と教師;再生産論からの批判と学力・進路の保障という課題
第11回 階層差原因論(1);「ピグマリオン効果」の余波から「教室の社会学的調査」へ
第12回 階層差原因論(2);ラベリングと差異的処遇
第13回 階層差原因論(3);サバイバル・ストラテジー/子ども中心主義のパラドクス


[目標];今のあなた方がそうであるように,教師はすべての子どもの成長・発達を願って職務に邁進しています。にもかかわらず,子どもの学校でのパフォーマンスには大きな格差がみられます。一体なぜ? 教師にできること/できないこと,すべきこと/すべきでないことは何なのか? 子どもの将来の進路選択と人生の長い行路における義務教育段階の重要性,教師の果たすべき役割の重要性を認識します.
[事前準備〜発展的学習のために];文献(8)(10)の読了と考察.


第4部 子どもの多様性がもたらす教育上の可能性と課題  
第14回 「効果のある学校」論;習熟度別指導は有効か?
第15回 まとめ;再び「社会の共生原理」と義務教育学校


[目標];最後に現代日本の公立義務教育学校における現実との「格闘」事例を紹介し,半期にわたる考察のまとめを行います.
[事前準備〜発展的学習のために];文献(9)(11),および配布データの読了と考察.


テキスト
特に指定しません.下記参考文献以外にも参照すべき文献については講義のなかで適宜紹介します.


参考文献
(1)林竹二,1977『教育の再生をもとめて―湊川でおこったこと』筑摩書房
(2)林竹二,1990『授業を追及するということ―城南小におこったこと』国土社
(3)林竹二,1990『授業 人間について』国土社
(4)油布佐和子,2007『転換期の教師』放送大学教育振興会
(5)油布佐和子,1999『教師の現在・教職の未来―あすの教師像を模索する』教育出版
(6)秋田喜代美・佐藤学(編),2006『新しい時代の教職入門』有斐閣
(7)藤田英典(編),2007『誰のための「教育再生」か』岩波新書
(8)藤田英典,2005『義務教育を問いなおす』ちくま新書
(9)佐藤学,2004『習熟度別指導の何が問題か』岩波ブックレット,No.612
(10)志水宏吉,2005『学力を育てる』岩波新書
(11)志水宏吉,2008『公立学校の底力』ちくま新書
(12)阿部彩,2008『子どもの貧困』岩波新書
(13)山野良一,2008『子どもの最貧国・日本』光文社新書

「教師論(初等/中等)」試験問題


1.「公立小・中学校」という教育機関について,
(1)他の教育機関(私立学校・高校・大学・塾・予備校など)にはみられない独自の特質は何か,あなたの考えを述べなさい.(10点)
(2) 講義で紹介した林竹二の「授業巡礼」の試みや「湊川高校で起こったこと」,あるいは「効果のある学校」の事例などのエピソードを参考にしつつ,公立小・中学校で働く教職という職業の意義について,あなたの考えを述べなさい.(15点)【小計25点】


2.「指導」という言葉をキーワードにして,
(1)教師が行う職務内容の大きな柱の概要を説明しなさい(10点).
(2)日本の教師の職務実態の特徴(長所・短所等)を外国の事例との比較を交えながら説明しなさい.そして,それに対するあなた自身の考えを述べなさい.(10点)【小計20点】


3.
(1)教師の地位・身分や服務,給与・研修などの労働条件・待遇面における,他の仕事にはみられない特徴,および近年の改革の方向性を説明しなさい.(10点)
(2)近年進められている(または,進められようとしている)義務教育改革を1つとりあげ,その問題点を説明しなさい.(10点)【小計20点】


4.子どもの家庭環境によって教育達成に格差がある現状について,
(1)その原因として講義で紹介したメカニズムを,下記の言葉を参考にして説明しなさい.(15点)
[ 物質的環境 文化的環境 心理的・価値的要因 ロール・モデル ピグマリオン効果 ラベリング 教師期待 能力別学級編成 アンダー(オーバー)アチーバー サバイバル・ストラテジー ]

(2)上で取り上げたメカニズムのうち,講義を受けるまで自分自身がとくに自覚していなかったものを1つとりあげ,教師としてそれを避けるためにどうすればよいかについて,あなた自身の考えを述べなさい.(10点)【小計25点】


5.以下の質問は,昨年度後期「教師論」の講義において実際にレスポンス・カードで寄せられた質問です.これに対し,森に代わって答えなさい.(10点)【小計10点】

質問: 例えば勉強がよくできる子どもの親が学校に来て,「先生の授業はたるいので塾へ行かせます.学校へは行かせません」とまで言われたとしたら,この母親にどう反論・説得すればいいと思いますか? これは実際にあった話なので.

「教育の社会制度論」

「教育の基礎理論に関する科目」。3領域設定されているうち,内容に含めることが必要な事項として「教育に関する社会的、制度的又は経営的事項」が挙げられている科目である。ちなみに他の2つは「教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想」(←教育原理とか教育史とか教育基礎論とかいう講義名になることが多い)と「幼児、児童及び生徒の心身の発達及び学習の過程(障害のある幼児、児童及び生徒の心身の発達及び学習の過程を含む)」(←いわゆる心理学系の科目)。

対象は2年生。選択必修という扱いだったが,教員免許を取得するうえで前任校では事実上の必修。アカデミックな意味での専門性はかなり上げる。内容はてんこもり。学生が「ヘビー」と評する度合いの一番強かった科目。同時に,学生評価アンケートをみるかぎり,満足度も一番高かった科目。そして,4年間で目を見張るような,記憶に残る答案は,すべてこの科目から誕生した。

「教育の社会制度論(初等/中等)」シラバス


講義概略
  「教育」は人類の歴史とともに古くから,家族の生活や労働の場など,社会のいたる所に遍在した普遍的な営みです.ところが,「教育」が社会制度として確立するのは歴史的には近代以降の「つい最近のこと」です.教育を専門的に引き受ける空間(学校空間)と職業(教師)が誕生し,教育を受ける側の資格(年齢や入学・進級・進学・卒業の条件)も細かく規定され,年齢や知識の蓄積にあわせて学校段階が間断なく接続し,進路分化にあわせて各種の学校種別が並立する――「教育」がこのような変質を遂げることを「制度化」とよびますが,その具体的なプロセスは社会によって異なり,形成された教育制度にも多様性がみられます.
  このコースでは教育制度の歴史的形成過程と国際比較という2つの視角から「教育」を1つの社会制度(システム)として眺める視点を身につけ,自分の経験した教育制度が自明のものではないこと,教育制度の構想が多様でありうることを理解し,家族システムや経済システムなど他の社会制度と関連づけて個々の教育実践を鳥瞰する視点を形成することを目指します.その際,とくに国民国家や近代家族の形成と初等教育との関連,経済のグローバル化・知識社会化の流れと今後の中等教育の課題との関連に重点をおいて考察します.


評価方法
授業への参加度(各回の講義に対する感想・疑問・意見を書いたレスポンス・カードを提出してもらいます)20%,中間レポート30%,期末レポート論文50%


授業計画詳細
第1部 初等教育の制度化と「教育」「子ども」の意味変容;国民国家・学校教育・近代家族
第1回 イントロダクション;国民国家の形成と公教育システムの確立
第2回 制度と意味(1);学校空間と「教育」の歴史的意味変容
第3回 制度と意味(2);パノプティコンと規律訓練権力
第4回 制度と意味(3);〈近代家族〉と〈子ども〉の誕生
第5回 制度と意味(4);「教育の制度化」の社会的背景


[目標];19世紀に入り国民国家の形成という課題にあわせて,「国民の創造」という使命を果たすことを期待された初等義務教育の制度化がもたらした「教育」や「子ども」の意味変容を考察し,現代の初等教育がおかれている社会的環境の特質を理解します.
[事前準備〜発展的学習のために];文献(1)〜(4)の読了と考察.


第2部 学校体系の国際比較;階級社会国民国家・機会均等の歴史と教育の制度化
第6回 比較教育制度論(1);複線型の学校体系/イギリス/階級社会の原理
第7回 比較教育制度論(2);分岐型の学校体系/ドイツ/デュアル・システム
第8回 比較教育制度論(3);分岐型から単線型へ/フランス/課程主義の初等教育
第9回 比較教育制度論(4);単線型の学校体系/アメリカ/「教育の機会均等」理念
第10回 比較教育制度論(5);単線型と学校間格差構造の併存/日本/戦前・分岐型から戦後・単線型へ
第11回 比較教育制度論(6); (同上)


[目標];初等教育から高等教育までを通じた各国の教育制度の全体像(学校体系)を考察し,教育の制度化を推進する原理(メカニズム)を理解します.
[事前準備〜発展的学習のために] ;文献(5)の読了およびDVDの鑑賞と考察(中間レポート課題:日本の教育制度).


第3部 中等教育の制度化と〈教育から職業への移行〉;教育システムと経済システムの連結
第12回 教育制度と労働市場(1);「ニート/フリーター」把握の問題点
第13回 教育制度と労働市場(2);若年失業問題と〈教育から職業への移行〉を支える社会制度の国際比較
第14回 教育制度と労働市場(3);「学校経由の就職」の独自性,そのゆらぎと今後の課題
第15回 中等教育の職業的意義;経済のグローバル化・知識社会化と中等教育の課題


[目標];教育制度と社会との接点としての教育から職業への移行の諸問題を,教育システムと経済システムとの相互関係という視点から考察し,現代の中等教育が置かれている社会的環境の特質を理解します.
[事前準備〜発展的学習のために];文献(6)〜(10)の読了と考察.


テキスト
特に指定しません.下記参考文献以外にも参照すべき文献については講義のなかで適宜紹介します.


参考文献
(1)フィリップ・アリエス(杉山光信・杉山恵美子訳)1980『〈子供〉の誕生』みすず書房
(2)ミシェル・フーコー(田村俶訳)1977『監獄の誕生』新潮社
(3)藤田英典・田中孝彦・寺崎弘昭1997『教育学入門』岩波書店
(4)森重雄1993『モダンのアンスタンス―教育のアルケオロジー』ハーベスト社
(5)新井郁男・二宮皓(編)2003『比較教育制度論』放送大学教育振興会
(6)本田由紀ほか2006『「ニート」っていうな!』光文社新書
(7)白川一郎『日本のニート・世界のフリーター』中公新書ラクレ
(8)乾彰夫(編)『不安定を生きる若者たち―日英比較フリーター・ニート・失業』大月書店
(9)苅谷剛彦1991『学校・職業・選抜の社会学―高卒就職の日本的メカニズム』東京大学出版会
(10)本田由紀2005『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』東京大学出版会

参考DVD
ハリーポッター 賢者の石』

「教育の社会制度論(初等/中等)」試験問題


※ 以下,回答する際には[ ]内の言葉を必ず一度は用いなさい.
1.近代のヨーロッパで誕生・発展した学校教育制度について,
(1)教育の制度化のプロセスで生じた子どもの育ち方・学び方や学校空間の変化について説明しなさい.  
   [モニトリアル・スクール パノプティコン
(2)教育の制度化のプロセスと並行して生じた家族の変化や家族における子どもの位置づけの変化について説明しなさい.  
   [近代家族 〈子ども〉の誕生]
(3)近代ヨーロッパ諸国で進展した教育の制度化の社会的背景について説明しなさい.
   [産業革命 市民革命 宗教改革 国民国家]               【以上から2問選択】


(4)((1)〜(3)のうち自分が選択した問題について)このような歴史的変化の結果として現在あるような学校や家族・子どものあり方が,子どもにもたらしたメリット・デメリットについてどう考えるか,あなた自身の考えを述べなさい.     【各10点×3=小計30点】


2.各国の学校体系について,
以下にあげる諸国のなかから3つとりあげ,初等教育中等教育の制度的特徴について,歴史的経緯を踏まえながら説明しなさい.
(1)イギリスの学校体系 [パブリック・スクール コンプリヘンシブ・スクール]
(2)ドイツの学校体系  [ギムナジウム デュアル・システム]
(3)フランスの学校体系 [課程主義 「統一コレージュ」]
(4)アメリカの学校体系 [ハイスクール 12年間]                           【各10点×3=小計30点】


3.日本の教育制度について,
(1)中等教育について他国にはみられない制度的特徴を述べ,それがもたらされた歴史的背景について説明しなさい.
     [ 分岐型 単線型 高校3原則 ]
(2)大学について学費・設置者別比率・進学率等の実態や入試などの制度的特徴を述べ,その歴史的背景について説明しなさい. 
     [ 選抜試験 資格試験 二元重層構造 ]
(3)日本の若年失業率がなぜ低く抑えられてきたのか,背景にあった日本に特徴的な社会制度のあり方を説明しなさい.
(4)上の(1)〜(3)で述べた制度的特徴のメリット・デメリットについてどう考えるか,あなた自身の考えを述べなさい.【各10点×4=小計40点】

「教育社会学

上述の「教育の社会制度論」と同じく,「教育の基礎理論に関する科目」のうちの「教育に関する社会的、制度的又は経営的事項」に関する科目。3年生対象。選択科目。ただし,学芸員あるいは図書館司書の資格取得を希望する学生はとらなければならない。それ以外は純粋に1・2年時の私の講義から受けた印象に引きずられて履修する学生。通常履修者は40名内外。「学校ふれあい体験」も「教育実践観察」も「介護等体験実習」も終えていて,教育実習に行く直前に行われる講義。もうみんな立派な大人であるw

「教育社会学(初等)」シラバス


講義概略
  教育社会学は「教育」を「社会学」という方法論を用いて分析・考察する経験科学の1分野です.つまり,教育はいかにあるべきかを問う当為論(「べき」論)とも,いかに教育すれば効果的かを問う技術論(ノウハウ論)とも異なり,客観的データの収集と分析により,現に存在する「教育」現象の正確な把握を目標とした実証科学だということです.そこでは「教育」的な営みが個人の意図や目的とは独立に帰結してしまう効果や,社会全体が存続・変容していく際に「教育」が果たしている役割といった側面を教育の「社会的機能」として捉える視点が展開されます.
  このコースでは,教育社会学が何をどのように明らかにする学問であるかを理解することを通じて「教育の社会的機能」への視角を獲得するとともに,その視角を用いて実践現場の現象を説明・解釈し,可能な対応策を考察することができるようになることを目的とします.さらに,データとその分析にもとづいた正確な実態把握の重要性に気づき,個人の体験談や安易な印象論で教育を語ることへの批判意識を形成することも期待しています.具体的に取り上げるトピックは,「青少年の凶悪化」言説の真偽,教育機会の階層格差とジェンダー格差,学歴社会論といったテーマです.


評価方法
授業への参加度(各回の講義に対する感想・疑問・意見を書いたレスポンス・カードを提出してもらいます)20%,中間レポート30%,期末レポート論文50%


授業計画詳細
第1部 「教育」現象の「社会学」的分析の世界へ;データ・理論・分析
第1回 イントロダクション;印象論と体験談にのみもとづいた教育論の問題性
第2回 E.デュルケムと「社会学」という方法;「社会的事実」の分析
第3回 社会学の固有性と教育の社会的機能;社会化,選抜・配分,正当化


[目標];「教育」現象を「社会学」という方法を用いて分析・考察する教育社会学の基本的な考え方を心理学的アプローチと対比させて理解します.
[事前準備〜発展的学習のために];文献(1)〜(4)の読了と考察.


第2部 教育問題の社会学;「青少年の凶悪化」言説の再検討から
第4回 実態主義的アプローチ(1);緊張理論・統制理論
第5回 実態主義的アプローチ(2);ラベリング理論と「意図せざる結果」
第6回 構築主義的アプローチ(1);教育言説による「現実」の構築
第7回 構築主義的アプローチ(2);戦後日本の教育拡大と教育言説の変容


[目標];「青少年の凶悪化」言説を取り上げ,「実態」と「認識」のズレの産出メカニズムを考察するとともに,現代日本の家族や地域社会の社会化環境の変容について理解します.
[事前準備〜発展的学習のために];文献(4)(5)の読了と考察(中間レポート課題;戦後日本の教育問題).


第3部 教育と社会階層・社会移動;学校教育の選抜・配分機能
第8回 「属性原理から業績原理へ」の検証(1);教育達成の不平等
第9回 「属性原理から業績原理へ」の検証(2);学歴社会
第10回 学歴社会論(1);日本社会の近代化と後発効果
第11回 学歴社会論(2);社会移動の構造と規範
第12回 学歴社会論(3);「総中流」社会と「格差」社会


[目標];学校教育の選抜・配分機能について,教育機会の格差の客観的理解と同時に,日本の「学歴社会」の独自性について考察します.
[事前準備〜発展的学習のために];文献(6)〜(9)の読了と考察.


第4部 ジェンダー秩序と教育の社会的機能
第13回 「男らしさ/女らしさ」の検証(1);しつけと教育期待のジェンダー
第14回 「男らしさ/女らしさ」の検証(2);進路選択と労働市場ジェンダー
第15回 ジェンダー秩序と学校教育;教育の正当化機能とジェンダー・センシティブ教育


[目標];まとめとして,ジェンダー視点に立脚して「教育の社会的機能」の理解を再確認するとともに,教育社会学的な現実把握から教員としての教育実践につなげていく視点を獲得します.
[事前準備〜発展的学習のために];文献(10)(11)の読了と考察.


テキスト
特に指定しません.下記参考文献以外にも参照すべき文献については講義のなかで適宜紹介します.


参考文献
(1)エミール・デュルケム『自殺論』中公文庫
(2)エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』岩波文庫
(3)天野郁夫ほか1998『改訂版 教育社会学放送大学教育振興会
(4)苅谷剛彦ほか2000『教育の社会学―〈常識〉の問い方,見直し方』有斐閣
(5)広田照幸2001『教育言説の歴史社会学名古屋大学出版会
(6)ロナルド・ドーア(松居弘道訳)1998『学歴社会 新しい文明病』岩波書店
(7)天野郁夫2005『学歴の社会史―教育と日本の近代』平凡社ライブラリー
(8)竹内洋1995『日本のメリトクラシー東京大学出版会
(9)苅谷剛彦1991『学歴・職業・選抜の社会学―高卒就職の日本的メカニズム』東京大学出版会
(10)井上輝子ほか(編)2005『女性のデータブック第4版―性・からだから政治参加まで』有斐閣
(11)江原由美子2001『ジェンダー秩序』勁草書房

「教育社会学(初等)」試験問題


※以下から5題選択して答えなさい.
1.学校教育の3つの社会的機能について説明しなさい.

2.教育社会学の基礎をつくったエミール・デュルケムの研究内容とその意義について説明しなさい.

3.非行行動が生みだされるメカニズムに関する諸理論を説明しなさい.

4.日本社会で少年非行の実態と社会の側の認識との間にズレがみられる社会的・歴史的な背景を説明しなさい.

5.出身階層による成績や学歴の格差が生みだされるメカニズムについて説明しなさい.

6.日本社会は出身階層が到達階層におよぼす影響力がきわめて強い社会であるにもかかわらず,なぜ社会意識のうえでは「学歴社会(学校歴社会)」であるという認識が強いのか説明しなさい.

7.ジェンダー秩序が「自然なこと」として社会的に成立するメカニズムについて説明しなさい.

【各20点×5=計100点】

べつに↑これが見本になるような「よくできた」ものだなんて,これっぽっちも思ってない。ただ,見る人が見れば,これだけの情報量をのっけておけば,私がどのように日本の教員養成カリキュラムの構造を理解し,勤務校の他の講義・実習科目の実態を勘案して,「教育社会学」という一つのアカデミックな知の体系を「職業教育」へと実装したか,ということの理念と実践の履歴が理解されるはずだと思ったから,曝した。

そこで再び問う。このような私の講義に小学校・中学校教員になるための職業的レリバンスはありやなしや,と。

私が初めて教員養成教育に携わることになったとき,参考になるだけのシラバスは(僭越ながら/残念ながら)ネット上には転がっていなかった。まあそりゃそうか,「転がってる」くらいなら「教育の職業的意義」の実装なんて,いつでも誰にでもできる簡単な作業だってことになる。ここに曝した落書きが「参考になる」かどうかはさておき,いずれ新天地で暗中模索することになるであろう私よりも若い,未来の教員養成担当教員に少しでも資するところがあれば望外の喜びである。たとえそれが反面教師として,であったとしても。

結局のところ,そういう「苦しみ」を潜り抜けることなしに「意義(レリバンス)」ある教育,なんてできやしないのだ。

そう思いませんか?

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)