ねじれの補足。

連休中は故あってフーコーの精読をしておった。思ったよりもはかどらなかったが,いたしかたない。当分,この作業を続けないといかんだろうなぁ,と思う。いま思い立ったが,いっそのことこれからは「遅れてきたフーコディアン」を名乗ろう......かと思ったがカッコ悪いのでやめておく。

前回,頭がまわらないまま書きつけていたエントリを連休中は放置しておりました。読み返すとずいぶん勝手なことが書いてあるので,もしかして教育学各方面には大変失礼をしているのんじゃないかとも思うのですが,事実誤認や不当な評価の点など目につかれましたら,できればコメント欄にてご指摘いただければと思います。そのほうが他の読者の方にも有益ですし,そもそもそれがブログという手段を用いている所以でもあります。

で,そういうご指摘があるまでは訂正はしないことにしますが,一点だけ,最後根気が切れたところでの文章のつながりに不十分な点があったので補足します。

一つだけ,それでも書きつけておくとすると,やっぱり70年代に何かがある,っていうこと。印象論風にだけいえば,何かが“ねじれてる”。思えば,「戦後○○」って呼ばれているものの多くが,実は,この特定の時期に形成されているものだったりするわけである。

の部分,明らかに“もう無理っ寝るっ”モードに入っていて言葉が足りていません。書きたかったことは,

一つだけ,それでも書きつけておくとすると,やっぱり70年代に何かがある,っていうこと。印象論風にだけいえば,「70(〜80)年代を通じて起こっていたこと」を理解する枠組みのほうで,何かが“ねじれてる”。思えば,「戦後○○」って呼ばれているものの多くが,実は,この特定の時期に形成されているものだったりするわけである。にもかかわらず90年代以降の言説は,そのことを正確に把握できていない。

のように,補足部分を補うほうがよかったかと思います。

金子さんが指摘されたのもまさにこの部分で,そういう意味では「ねじれ」の由来は近年だというご指摘はその通りだと思います。さらに金子さんはそこで「左派理論の継承の失敗」テーゼという形で少し考えをめぐらせています。興味のある方は直接エントリへ行ってご参照くださるのがよいかと思います(四六答申雑感四六答申雑感(2))。

この「ねじれ」の部分について金子さんは,

わずか10年ちょっとの間で忘れ去られたということでしょうか。しかし、こういうことを踏まえないで議論するというのは、意図してやっているならば、伝統的左派運動への裏切りであり、意図せずにやっているならば、深刻な学力低下と言わざるを得ません。

とかなり憤って(?)おられて,そりゃ憤るよなぁ,と思いつつ,私なりに「批判的言説の継承」という論点に関連して教育学界で起こったこととしてぼんやり感じるのは,もっと単純に,90年代前半あたりを分水嶺として,教育批判/教育言説の主要産出母体が,(東大至上主義的表現に依拠すれば)「史哲」(あるいは「行政」を入れてもいいのかもしれない)的なところから「教社」的なところへ顕著にシフトしたこととか関係しているのかな,と。たとえば私の独断と偏見では乾先生は明らかに前者です。そして,その系列で乾先生のあとに誰なんだ,と問われてぱっと頭に浮かばないんですね,大変失礼&残念なのですが(もちろん,可能性として,私の不勉強ということはあります)。

乾さんのことを「さん」では呼びにくくて,つい「先生」とつけてしまうのは,私が学部生時代に乾先生の授業を受講していて,かつとても好きだったということがあります。どうでもいいことですが。

で,私が院(比較教育社会学コース,いわゆる「教育社会学」がメインボディ)に入ったのが95年だと思うんですが,そのときに博士課程の先輩院生とかと話しててすごく印象に残ってるのが,「史哲(=教育史・教育哲学コース)とか行政(=教育行政学コース)とか学教(=学校教育学コース←佐藤学さんとかここです)とかのゼミに出てもなんかみんな教社(=比較教育社会学コース)みたいな話しかしないから,ぜんぜん勉強になんない(≒つまんない≒タメになんない≒でても意味ないじゃん≒…(以下省略)」的な感じで,こんなんで大丈夫なのか,教育学,みないなノリで会話していたことなんですね。

教育社会学という学問には「価値」や「規範」を論じる作法はそのままではビルトインされていない(←当たり前です)。そのことの〈弱さ〉や〈危なさ〉に自覚的だからこそ,「価値」や「規範」を論じる(はずの)他の教育学研究に賭ける思いというのは強くありました。私は修士に入ってもかなり経つまで,教育学者のなかで一番影響を受けていたのは「堀尾輝久」だったと思います。

私もこの先輩も,わざわざ他コースのゼミに出張る理由は「規範の議論」をしたいからだったわけです。それがどのゼミに出ても中途半端な「事実の議論」しかしないもんだから,だったら自分とこのコースのゼミで十分なんですよ。なんでわざわざ〈二流の〉教育社会学の議論しにいかなきゃなんないんだよ,って。

ま,↑このあたりに敏感だったのはごく一部の人に限られた話でしたが(←そして,今私は各方面に対して大変に失礼なことを書いております。自覚はあります。自分の持論がつねに正しいと言い張るほどバカではないので,反論はいつでも歓迎します)。

広田照幸氏の言葉でいう「教育学における規範的足場の欠如」の兆候がすでに現れていたということです。院生レベルで話がでる程度には。

だから,「46答申→臨教審」への批判的言説の産出母体と,「臨教審→現在」への批判的言説の産出母体とのあいだに断層があって,教育(批判)言説が自覚も十分でないまま,この断層をズルズルと横滑りしてる,っていう印象ですかね。

この「断層+横滑り」にプラスして,教育社会学のとくに現在有力な批判的言説の産出母体たる「実証系」の研究者群に,ほとんど絶望的なぐらいに歴史的パースペクティヴの欠如した方々の混入濃度が結構高い,っていうのは一つ関係しているのかな,と。なんか「昔のこと扱ってる文献2つぐらい参考文献に入れときましたんで“歴史”は押さえたことになりましたね,,,それではさっそく本題に入りましてぇぇ・・・・・・」みたいな?

ですから,その限りでは「学力低下」との揶揄はそのまま当てはまると思うのですが,やはり言説全体の構図を押さえておかないと不必要にアグレッシヴな物言いに堕してしまうと自戒しています。

あと,もう一つ労働問題研究の分野と教育研究とでの大きな違いは,この「ねじれ」が生起したとここで称しているちょうどその時期に日本社会を席巻した「ポストモダン(笑」思潮が有したインパクトが,やはりぜんぜん違ったのだろうと想像します。さきほど指摘した「断層」は,そのまま「ポストモダン(笑」思潮がもたらした断層でもある(という側面はある)と思います。

ですから,金子さんが,

自民党末期の教育改革時に語られた改革派=自民党新自由主義守旧派=自分達=戦後教育改革(民主主義)の実践者という構図は、はっきり言って、自民党社会党の共犯的55年体制を引きずっているという意味において、自民党同様に耐用年数が切れています。

と述べておられることには100%同感します。そして,だからこそ,この共同研究だということです。教育研究と労働研究とでは,この間の知的な「断層」と呼ばれるものの深甚さには大きな違いがあるかもしれないとは思うのですが,教育研究における“議論の足場の再構築”に関与していただくことは,おそらく労働研究にとっても無駄ではなかろう,と。そして,教育研究にとっては,もちろん,いわずもがなであります。

それにしても金子さんのは面白いですよ。「森戸辰男」なんかがスッとでてくるところは特に。たぶん,「森戸辰男」に注目する視点と,「杉原誠四郎」さんへのこの評価というのは同根ですね(←決めつけ)。このことの意味が,このブログを覗いてくださっている教育学関連の読者の方のどれくらいに通じるのか,それが一つの試金石かもしれません。

というか,私自身,金子さんの指摘を受けるまで「そういう目で」杉原さんをみたことというのは,正直,なかったですから。

なんだかんだで社会学は,「固有名詞」への依拠を必要最小限にして歴史を論じようとするという偏りはあると思うんですね。「言説構造」(←でた!)それ自体の相対的に自律的な(←でた!)運動として描く志向性が強い。でも,「固有名詞」は重要です。当たり前のことですが。

っていうか,最近「社会学」はそうでもないか。小熊さんとかいるか。でも小熊さんかぁぁ〜〜〜......

酔っ払ったまま書くとろくなことがないので,退散。