「異学年型教科センター方式」とは何か?(2):ちょっとブレイク

待たれよ,次回...とまで言っておいてなんなんだお前は,ということではあるが。

至民中学校の「異学年型教科センター方式」とは何か,それは「教科センター方式」と「異学年型クラスター制」との組み合わせ式教育実践である,ということは,いただいたパンフレットにもさんざん強調されている点である。前回はそのうち,「教科センター方式」についての認識を共有させていただいた。

そこで提示した私見では,そもそもカリキュラムの自由科目選択制のない日本の中学校において,「学習指導」と「生活指導」を指導の両輪とし,それも生徒の集団単位での凝集性を高めることで後者「生活指導」を遂行しようとする志向性が独自に強い日本の中学校/教師の指導文化のもとでは,どうしても「教科センター方式」には“座りが悪い”ところがある。オープンスペースという「空間のアーキテクチャ」を設えたうえで,そこにどのような「実践のアーキテクチャ」を埋め込むか,という部分にはまだ越えなければならない課題があったわけで,その課題に応えるために至民中学校が編み出した“解”が「異学年型クラスター制」というアイディアである,というところまで前回論じた。

さらに私見を重ねた私は,その至民中のオリジナリティ「異学年型クラスター制」は,福井県立若狭高校の「縦割りホームルーム制」の遺産である,とまで書いた。

しかしなぁ...筆すべってないか,これ? ということである。

こういう自分のなかで分かりやすい話がとんとん進むときは危ないんだ。「東の天野,西の竹内」とまでいわれる(←だれもいってない)という教育社会学碩学竹内洋先生をもってしても,『学問の下流化』では“自説にとって都合のよい事実の誤認”っていうか筆すべりっていうのは起こるんだ。うちの奥さんが高校の先生に胴上げwされたのは「東大合格」だからじゃなくて,どこでも第一志望に合格したら胴上げしてくれる高校だったんだって,マジで。

だからちゃんと“裏”をとって書かないといけないんだけど,いくらブログとはいえ。

チェック...ダブルチェック...


までもいっかあ,ブログだし。


事実確認はおって遂行するとして,ここでは“お話”を続けよう。もしも「異学年型クラスター制」にとって若狭高校の「縦割りホームルーム制」がなんらかの意味で“源流”となっているのだとしたら,もう一つだけ話を迂回させてからのほうが至民中の実践の意味がよくわかる。

だとすれば,私たちは一気に時代をとんで,敗戦直後の「新制高校の理念」へと遡行する必要がある。「縦割りホームルーム制」の記憶をたぐることは,後期中等教育においてアメリカからの“ハイスクールの原則”を受け入れようとした日本の「戦後教育」が,どのような理念をどのように実践しようとしたか,その模索の道筋を確認することに他ならない。

もしも私の臆断に多少とも真理が含まれているとするなら,至民中の実践とは,敗戦直後の「戦後教育」の理念・実践と70年代半ば以降の「オープン教育」の理念・実践とが福井の地で邂逅を果たした,歴史的な場面なのかもしれない。

今度こそ,次回! 題名予告,「異学年型教科センター方式」とは何か(3):若狭高校「縦割りホームルーム制」の記憶,です。