「異学年型教科センター方式」とは何か?(1):っていうか,その前に「教科センター方式」とは何だ?

最初に言うとくけど,長いよ,今回。

至民中

北陸本線福井駅から南西に7キロ弱,車で20分ほど走り,人家や商店街,街道沿いの大型店舗などから離れて田んぼが広がるなかを少し行くと小高い丘陵のふもとまで来る。その里山の尾根部分の斜面を削って平地にしたところに真新しい校舎が建てられ,削り取った土砂を接する谷部分に埋めることでできた隣の敷地にグラウンドを設けてある。これが2008年3月に新校舎建設によって新たに誕生した福井市至民中学校である。これから述べるように校舎新築にあわせて独自の教育実践研究を取り入れた学校として生まれ変わっていることもあって,新生・至民中学校とか,新・至民中学校とか呼ばれることも多い。

旧校舎は人家や商店街・大型店舗がある地域の真ん中にあったのだが,オープンスクール建築にすることもあり,周辺には水田と丘陵以外には何もない里山にまで移転し新築開校したわけである。当然,生徒たちの居住する地域からは離れたわけで,在校生全員が自転車通学をしているという公立中学校である。

私がお邪魔したのは,翌日から「実践し省察するコミュニティ:日本の教師教育改革のための福井会議2010&学校改革実践研究福井ラウンドテーブル」(←ながい!)を控えた平日の午前で,たぶん,午後は鈴木寛・文部科学副大臣とかアメリカからよんだ授業研究・研究(←ややこしい)の専門家とかの視察御一行さまが来校する当日だった。せわしないときに申し訳ないことをしたと思いつつ,私一人に対して教頭先生がつきっきりで2時間弱,お付き合いいただくという恵まれた“接待”を受けた。自分の所属等を明らかにして事前に連絡さえすれば自由に(といっても,もちろん中学校の教育実践に影響のない範囲内で)校舎内の見学をさせてもらえる(通常は教職員ではなく地域ボランティアの方々が案内役)という素晴らしい中学校である。せっかくなので少しご紹介したいと思う。

旧校舎の老朽化によって建て替えられる際に移転し,2階建てのいわゆるオープンスペースをふんだんに取り入れた学校として誕生した。福井市開催のコンペを勝ち取ったのはオープンスクール建築ですでに実績のある都会・大手・有名設計事務所ではなく,地元の「設計工房顕塾(げんじゅく)」である。里山をいわば“削り取って”誕生してしまった経緯をのちのちまで住民の記憶に留めようという設計者の想いもあって,校舎全体が葉っぱをモチーフとした形状をなしており,二つある開放的な中庭のいずれも葉っぱの形にかたどられている。

このあたりの話も,オープンスクール教育を志す教育実践家と,それに形を与える建築家との協働作業が日本においていかに展開したか,という(私見では)重要な研究テーマに通じるところがあるのだが,そのあたりは割愛して,直接文献にあたっていただきたい。新・至民中学校の開校までのプロセスとそこでの教育理念・教育実践の概要については,しみん教育研究会(編)『建築が教育を変える――福井市至民中の学校づくり物語』(鹿島出版会,2009年)を直接参照するのが近道である。

旧校舎は福井市郊外,古い農家集落とアパートを中心とした新興住民,さらに旧商店と新興ロードサイドビジネスとが混在する地域に,やや大規模な校区の学校として存在する。まだ残る旧校舎の前を車で通ったが,老朽化が進んだその校舎には,かつて「荒れ」を見せていた頃のアウラが残っているようにも映る。私が4年間の教員養成大学勤めの職務として行なった義務制学校通いで身につけた嗅覚によれば(←えらそう),確実に「荒れ」を見せるパターンの典型的な中学校である。

しかし,現在の新校舎にはそのような気配は微塵もない。事実,教頭先生も,かつては上級学年への進級と併行して顕在化していた「荒れ」をみせる生徒の数が目に見えて減った,現在はない,と断言されておられた。そうだろうと思う。校舎の中に入って生徒の様子をみればわかる。

さて,いただいたさまざまな資料をみると,至民中学校の教育の特色として三点挙げられている。(1)学力充実!「教科センター方式」,(2)生活の基盤!「異学年型クラスター制」,(3)地域連携!,の三点。この3本の柱を通して「21世紀に求められる学力/資質を培う」のだという*1。こうした教育実践を総合的に名づける呼び方として,学びと生活の融合!「異学年型教科センター方式」となるわけである。

どれも重要な実践のポイントではあるのだが,実は(1)教科センター方式と(3)地域連携とは,なにも至民中学校の専売特許ではない。(3)の地域連携なんて今どきどこの学校もうたっている*2。(1)教科センター方式も,最近の統廃合などで新たに誕生している地方の公立中学校ではわりとみられるようになってきている。たぶん,福島県田村郡三春町立桜中学校あたりがもっとも早い段階での事例ではないかと思う。志水宏吉さんの『公立学校の底力』(ちくま新書,2008年)に紹介されたことで一躍全国区となったのは新潟県聖籠町立聖籠(せいろう)中学校である。いずれも二つの中学校の統廃合によって新たに校舎が建築される際にオープンスペースを有する学校として誕生するのを契機に「教科センター方式」を取り入れている。ちなみに,どちらも元東大教授の香山壽夫氏による設計である。

で,至民中学校の「異学年型教科センター方式」なるものを理解する前段として,いわゆる「教科センター方式」って何?という疑問を解消しておこう。道のりは長いぞ。

教科センター方式

まずは「クラス」と「ホーム(ルーム)」という概念を区別しておこう。たぶん,みなさんの中学校生活は1年D組とか2年D組とか3年B組とか(←全部わたしの経験)の「クラス」で一日中授業を受けたはずである。座って待っていれば“教師のほうが教室までやってきて”授業が始まる。ただし,体育・音楽・美術・技術家庭といった教科を除いて。これらの教科のときだけ生徒であるみなさんのほうが特別教室に移動して授業を受ける。それ以外の教科はずっと同じ普通教室で「クラス」のみんなと授業を受けていたはずである。

そして,その普通教室がホームルームの時間や昼食時にいるべき場所でもあり,その集団が学校行事などで一緒に行動することを義務づけられた単位でもあったはずである。重要なことは,この「クラス」と「ホーム」という空間/集団が,みなさんの多くが経験した中等教育(中学校と高校)においては“重なっていた”という点。

見方を変えると「クラス」と「ホーム」とは,同じ空間/生徒集団を,教師が果たすべき職務のうちの「学習指導」と「生活指導*3」のそれぞれに対応させて呼び分けた呼び名であるともいえる。

改めてこんなことを確認しているのは,学校の教師が「学習指導」も「生活指導」もどちらも当然の職務として抱え込むのは,かなり特徴的な日本の学校/教師の独自性であることを銘記しておきたいからである。つまり欧米,とくに大陸ヨーロッパの諸国では,初等/中等段階の教師にとってやるべき職務の範囲は「学習指導」に限定する認識が一般的ということだ。程度の差こそあれ,アングロサクソン系でも(日本に比較すると)同様のことがいえる。それに対して,日本では大学教師だけはそのように認識されているが(←最近は大学でも「生活指導」の必要性が指摘されつつあるけれども),それ以外の初等/中等教員は「学習」と「生活」の双方に対して指導の責任を負う/負わされるという傾向が強い。

日本の中等教育は,「学習」も「生活」も教師が指導すべき領域であるとされており*4,その指導を同じ一つの場所で同じ一つの集団に対して遂行することで学校内に秩序をもたらそうとしているということだ。下手に生徒を動かさない(秩序が乱れる“スキ”を生む!)。教師のほうが教室まで動く,ということはそういうことでもある。そして,「学習」と「生活」を同じ空間/集団に閉じ込めることで管理の効率化を図る。

ところで,「教科センター方式」とは,一言でいうと,この逆,つまり動くのは教師ではなくて生徒のほう。すべての教科が専門の教室/スペースを有し(=教科センター/教科エリア),各教科の教師は自分の教科エリアに張り付いており,生徒の側が教科の教室まで移動して授業を受ける,という教育スタイルである。欧米式,というか,日本だと(あえて言えば)大学スタイルに近い。

↑上述した宏吉さんの『公立学校の底力』の「第6章 志のある学校―聖籠中学校(新潟県)」にも,

・・・[聖籠中学校は:引用者]次にみる「教科センター方式」を取り入れているため,生徒たちは時間割にしたがって教室から教室へと移動する。500人ほどの中学生たちが,移動を繰り返すわけである。したがって,いわゆる「出席管理」に先生方が苦労することは想像に難くない。
 統合前の聖籠中・亀代中では,しばしば「荒れた」状態が見られることがあったという。しかし統合後は,不登校の数は大幅に減少し,いじめや暴力行為も目に見えて少なくなった。生徒指導上の問題が皆無というわけではないが,すばらしい[オープンスクールの]学校建築が子どもたちの心と体を伸びやかなものにしていることは間違いないようである。(112頁)

統合された聖籠中の基本コンセプトが「教科センター方式」である。これは聖籠の人々が「先進地」福島県三春町から取り入れたアイディアである。要するに教科ごとのエリアと教室を設置するやり方である。先生が教室に来て授業をするのではなく,生徒がそれぞれの教科の教室に移動するという方式である。欧米の中等学校では一般的だが,日本の公立中学校では,数えるほどしか先例はないだろう。(113頁)

とある。

これだけ聞くと単純なことのように思える。あ,「生徒固定の先生動く」じゃなくて,「先生固定の生徒動く」っていう学校なんだね,変わってるね,と。

ところが,ここで本の学校の指導スタイルのもとでは,ある重要な問題が発生する。日本の学校/教師にとって「学習指導」と「生活指導」は切っても切り離せない教育活動の両輪である。他方,「教科センター方式」とは「学習」面でしか生徒の行動パターンを規制することのない指導形式のことだ。この指導形式のもとで,どのように生徒の「生活指導」を効果的に遂行していくか,という課題が浮き彫りになるのである。

「教科センター方式」が「欧米で一般的」なのは,日本と違って,「欧米」の中等学校がほとんど「生活」指導面での生徒のコントロールを意図していない,ということと表裏一体。指導と評価の対象は「学習」面だけ。「自由」といえば「自由」だが,そのぶん「学習」面で結果を出せない生徒にとっては厳しいし,「生活」面で問題を抱えた生徒へのサポートも日本のようには手厚くない,ということと同義である。

では「学習」も「生活」も指導する責務を自覚する日本の中学校は,この難問に対して,どのような方式を“解”として編み出したか。まずは聖籠中学校の場合をみてみよう。

そこでは,「ホームベース」(←上述の私の言い方では「ホーム」)という集団と場所を,「学級」(←上述の私の言い方では「クラス」)という集団とは別個に設定して生徒たちを所属させる,というやり方がとられた。宏吉さんの解説に耳を傾けよう。

 ホームベース(以下「HB」)とは,学級以外の生徒集団のことである。聖籠中に入学してきた子どもたちは,学級に所属するのと同時に,別の担任教師(HB担任)のもとにあるHBに所属することになる。例えば,志水という生徒が,一年二組という学級と1DというHBの二つに所属するという具合に。
 現在の三年生は三三〜三四名からなる五つの学級と,二七〜二八[名]からなる六つのHBに所属している。この「五学級六HB」というのが,七年前の統合聖籠中発足時点での基本的枠組みであった。すなわち,学級よりも少人数の生徒集団を編成し,生徒たちが二つの集団に属することができるようにしようというのが,発足時のコンセプトだったのである。この「HB」という考え方は他に類例をみないようなユニークなものだと思う。(115頁)

つまり,「学習」用の生徒集団と「生活」用の生徒集団を別個設定し,一人の生徒は「学習」集団(一年二組)と「生活」集団(1D)という異なる二つの生徒集団に同時に所属する方式をとったということだろう。そのぶん,一人の生徒には,「学習指導」面での担当教師(=学級担任。各教科の教師以外の,ということ。おそらく進路指導とか学習面での三者面談とかはこちらの責任)と「生活指導」面での担当教師(=HB担任)という二人の「担任教師」がいることになる。

教科センター方式のもとでは,基本的に子どもたちは自分の教室や自分の机をもつことができない。そこで,HBというロッカールーム的な機能をもつ場所を設定し,別の担当教師を配置する。そして,その集団を少人数・習熟度別指導を主とする国語や数学といった教科の授業,および各種の学校行事の活動単位とする一方で,通常の学級集団を道徳や学活といった授業,および一部の行事・教科の活動単位として使う。(115-116頁)

なになになに???...(笑)...ここまでくると私にはわからない。「HB」(という本来「生活」本位のはずの集団)がしかし「少人数・習熟度別指導」の単位にもなるし学校行事という「生活」面での単位にもなって,「学級」(という本来「学習」本位のはずの集団)が「道徳・学活」の活動単位にも一部の「行事」にも「教科」にも活動単位として用いられる???

で,このあたり,じつは宏吉さんもよくわかっていないww そういうところを文章のなかでも隠さないのがあの先生の人柄だけど。

ただ,説明を聞いてもピンと来ないという読者の方も多かろう。実は,学校を何度か訪問させていただいた私にも,いまだに両者の違いと実際の動きはすっきりとは把握できていない。開校当初は,どちらかと言うとHBを中心的な集団にしようという位置づけにあったようだが,三年後には通常の学級を主たる準拠集団にしようという決定がなされた。・・・(中略)・・・両方の集団が学校生活のどの側面で用いられるかについても,絶えざる修正がなされているのが現状のようである。(116頁)

次だ,

細かいところはさておき,・・・

...www

細かいところはさておき,皆さんに押さえておいていただきたいのは,「生徒たちを学級という単一の集団に押し込めると居場所を見つけられない生徒が出てくるため,所属集団の多元化を図った」というのが,HB設置の趣旨だったという事実である。・・・(中略)・・・「多様な人間関係,多彩に用意された空間や活動のなかから,生徒たち一人ひとりが自分の居場所を見つけていく」という考え方が,聖籠中の基本コンセプトになっている。時代・社会の変化,子どもたちの変容を的確に捉えた先進性を,そこには感じとることができる。(116-117頁)

宏吉さんは,ほんとに実践の現場に愛のある人だから,愛のあるまとめをしてくれている。皮肉ではない。少なくともこの中学校は,よりよい実践のアーキテクチャ(←使っちゃった)をつねに模索し続けている,そういう熱意のある学校である。

しかし,ここではもう少し突き放して,どうしてこんな不自然なことになってしまうんだろう,って考えてみたい。

一つは,日本の学校が「欧米」とは違って,生徒を集団単位で扱うなかで「生活指導」を遂行(←「学級づくり」!)しようという志向性を強く有しているから,という要素。

生徒の「生活」面を「集団として」指導する,という志向性さえもたなければ,HBなんていう集団も空間もぜんぜん必要ない。最低限のロッカーがあって個人の教材その他をキープしておけて,進路の相談などは個別に助言をするアドバイザー的な教師をそれぞれの生徒に割り振っておけば,それで済む話だ。それこそほんとに日本の場合には,大学(もしくは予備校)なんかを想起すればよい。必要があるときにだけ生徒が「個別に」アドバイザーのもとを訪れる,あるいは逆に,アドバイザーが「個別に」生徒を呼び出す,というように。

もう一つ,聖籠中の取り組みが「欧米」と比較して不自然さが残ってしまうのは,日本の中学校には,生徒個人による科目選択の自由の余地が全然ない,ということは,一つの「学級」集団はほとんどすべて同じ教科を受けるために校内を一緒に回遊する,そういう時間/空間の過ごし方をしているにもかかわらず,それを「学習」以外の指導の単位としては「捨てる」ことになってしまう,というところに要因があるように思う*5

もしもカリキュラムの総合制と自由科目選択制を採用していれば,授業のメンバーが毎時間毎時間大幅に入れ替わる(場合によっては異学年がまじりあう)わけで,だとすれば,それ以外に同じ学年で「学習」以外の活動単位を設定することに積極的な意義が感じやすくなる。っていうか,「学習」面ではソリッドな集団がない(=「学級」がない)わけだから,HBが生徒の所属する唯一の活動単位として存在意義が明確になるだろう。しかし,実際には生徒に科目の選択の余地はない。みんな同じ時間に同じ空間で同じ授業を受けざるをえない,カリキュラム上の縛りというものがあるのだ。つまり,実際の日常の学校生活のうえでは,「HB」なんていうものを設定するまでもなく,生徒たちの感覚上は,良くも悪くも「学級」にかなりの程度の凝集性が自然発生してしまっている,ということである。

こう考えてくると,日本の公立の中学校に「教科センター方式」を導入したときに浮上してくる問題群は,いずれも,日本の学校/教師の教育/指導スタイルのある種の独自性を浮き彫りにしてしまう,という点で,きわめて重要な考察対象と考えることができる。

事実,日本の学校建築に「教科センター方式」を導入しようとすると,平面図上も,(聖籠中でいうところの)「ホームベース」をどう配置すればよいのか,どうしてもそこの座りが悪くなってしまうのである。オープンスクール建築は,ここの問題を解消するために必要不可欠な「空間のアーキテクチャ」であるといえるだろうが,しかし,オープンスペースを設置すれば↑上でみたような「実践のアーキテクチャ」の不自然さが,そのままで解消されるというわけでもない。

そこで至民中学校である(←やっと帰ってこれたw)。

↑上で紹介した,しみん教育研究会(編)『建築が教育を変える』のなかで,おそらくは至民中学の学校づくりのうえで重要なブレインの一人として影響力をもったであろう松木健一氏(福井大学大学院教育学研究科教授)は端的にこう喝破する,


教科センター方式は異学年型教科センター方式でなければ機能しない(前掲書,25頁)


ここでようやく私たちは「教科センター方式」が福井市至民中学校において「異学年型クラスター制」と邂逅する場面にまで辿りついた。私の考えでは,それは学習の単位としての「クラス」とは別個に生活の単位としての「ホーム」を学校空間内に編成することに,独自の屹立した「教育的意義」を与えるためにとられた一つの“解”のありかたである。

そして,もう一つ私見を付け加えれば,この「異学年型クラスター制」が福井において「教科センター方式」と遭遇したことには重要な歴史的な伏線があると思われる。

それが先日のエントリでも少しだけ言及した,苅谷剛彦酒井朗(編)『教育理念と学校組織の社会学』(学事出版,1999年)が素材として俎上にあげた,福井県立若狭高校の「縦割りホームルーム制」の遺産である。

私が至民中学校をお邪魔した際にも,教頭先生によるレクチャーを一通り受け終わったあとで,「いやあ,とくにこの異学年型クラスター制っておもしろいですねぇ...なんか昔の若狭高校の縦割りホームルーム制を思い出しちゃいますね」と何気なく洩らしたら,

「よくご存じで...」

と教頭先生のテンションも若干あがっていたように見えた。

ただし,実際に新・至民中学校の開校に携わった人物のなかに若狭高校とつながる具体的な人的ネットワークを確認したわけではない。今後の宿題としたい。

さて,それではようやく,至民中学校の独自の取り組み,「異学年型クラスター制」を論ずるところまで辿りつけたので,次回はそのエントリを投稿することにいたします。

こんな長文にお付き合いいただいて恐縮です。

待たれよ,次回。

建築が教育を変える―福井市至民中の学校づくり物語

建築が教育を変える―福井市至民中の学校づくり物語

公立学校の底力 (ちくま新書)

公立学校の底力 (ちくま新書)

*1:「生涯にわたって学び続ける力,社会に参加する力の育成」,これがいわゆる「生きる力」というやつだ。

*2:もっとも至民中学校は単なる建前ではなく実質が伴っているが。先述した学校案内ボランティアもそうだが,それ以外にもいろいろと実質的な取り組みがある。次回・次次回エントリぐらいで言及できればいいな。

*3:行政用語としては「生徒指導」。かつてであればどちらを使うかはイデオロギー的な立場と直結したのだと思うが,現在の私は講義や研修講師のときには「生徒指導」で通す。が,ここでは「学習」と「生活」の二元論がのちのち効いてくるのであえて「生活指導」のほうを用いておく。

*4:これが内藤朝雄さんなどが蛇蝎のごとく嫌う日本の教育の独自性である。内藤さんの議論はかなり重要なのでそのうちきちんと言及したいが,今は省く。

*5:実際の聖籠中は「捨てる」ことなく活用しようとしているのは引用文からも了解されるだろう。しかし,その際も言及したように,その結果かえって「学級」と「HB」との機能分化が,少なくとも外部の人間の目からは判然としないような状態になってしまっていることもまた事実ではないだろうか。