徒労と収穫

昨日報道を目にしてからその日のうちに長文エントリ一気に書き上げましたが,翌日には鳩山さん,給食費未納分の子ども手当からの天引き案は引っ込めてくださったようでなによりでした。さんきゅっ,長妻っち。これからもよろしく!

ということで,まあ冷静にみれば当該エントリ書いたことは徒労であったわけだが,ブログやってるとこんないいこともあるよ,ということを最近立て続けに経験中である。

今回遭遇した幸運は,ここのエントリ(「最後の授業」)をご覧になった一読者の方から,(詳細ぜんぶ端折っていうと)「うちにそのビデオあるけど見る?」というありがたいお申し出を受けたことです。

...書いてみるもんです。

そして,そういうお申し出を受けておいて見せてもらわないはずがない。

「授業巡礼――哲学者・林竹二が残したもの」は1988年の2月にETV8の枠で放送されたもの(45分)。番組についての自分の記憶がほぼ正しかったことに驚いたが,厳密にはここ(「林竹二,きた?」)で書いていたことのうち,番組後半の藤倉さんについては「当時教員志望の大学生」というのは正しかったが「宮城教育大学で」というのは番組前半の盛さんとごっちゃになっていたのであった(当該エントリも訂正)。

実はあともう一つ,これもどうでしょう,と勧められて視聴したのが「若き教師たちへ――三本木小学校・伊藤校長 最後の一年」(1991年4月29日NHK総合テレビ,74分)。見てから思い出した。これ,戸崎先生の授業でも見てたよ。「授業巡礼」の記憶のほうが強烈でこっちは忘却の彼方になってたけど,たしかに絶対見てた。こちらの作品は,林竹二の教育思想に感銘を受け,自分が校長を務める小学校にも林竹二の「授業巡礼」を受け入れた伊藤校長の定年間際最後の一年を追ったドキュメンタリー。

林竹二の授業「人間について」は,「ふつうの授業とは違ったから成功したんだ.ふつうの算数や国語の時間では無理だ」という学生からのレスポンスカードが毎年数枚散見されるわけだが(そしてそれは事のある面を適確に言い当ててもいるが),そういう感想をもっていた学生には,ぜひこちらの作品をみてもらいたい,と思った。そこにあるのは,林竹二の遺志を継いでその“理想”を毎日の「ふつうの授業」のなかで実現させようとする若い教師たちが日々刻苦勉励する姿と,それを支える老校長の姿である。

私が単に無知だっただけだが,両作品とも戸崎賢二さんが制作にかかわっていた作品で,とくに後者は放送後,各地の教員養成大学で教材として盛んに利用されたものらしい。今回私に視聴の機会を提供してくださった方が長きにわたって両作品を保存されていたのも,当時の教員養成の現場にいらした方からすると結構ふつうのことらしい。

質の高い校内研修が,しかも一年に数回設定された“イベント”としてではなく,日常のありふれた一コマとして展開されている風景が,教師としての職業的社会化につなげるべき格好の教材だったからだろう(ついでにいうと,こういう質の高い校内研修の日常化というのは日本の教育界が世界に誇るべき職場文化の遺産(だった?)なのであって,それが“官製”研修の肥大化や現場の多忙化によって時間的につぶされていくような現状は,最悪である)。

ちなみに三本木小学校というのは青森県十和田市立の,であり,伊藤校長も弘前大学出身である。かの地には同じ研究室出身の学兄が教員養成の仕事に奮闘中のはずだが,このような高い教育理念を設定した質の高い校内研修が日常になっている学校,をうみだす大学教育,というのももっと評価されてよい。

で,自分が教員養成の仕事をするようになってから両作品を視聴してみて感じたのは,両作品に対する印象の鮮烈度が十数年前とは逆転して,圧倒的に後者の作品にくぎ付けになってしまった,ということだった。

たぶん自分も(高校の,だけど)校内研修の講師をやってみたり,学生の実習につんだっていくつもの研究授業発表会に足を運んだからだろうが,はっきりいって「目が肥えた」w 授業をみる目が。こっちのが面白いなあ。これ絶対学生に見せたいよ...

...と思ってたら,「お貸ししますよ」と,その方からのありがたいお言葉。

というわけで,私の現職場での最終講義,というわけでもないのですが,“卒業”記念上映会と称しまして2月上旬に両作品の上映会(というほどのものでもない,希望者だけ集めて小さな部屋で行う観賞会です)をすることとあいなりました。1日だけのプログラムですが,よろしく。

そのときの模様もいずれエントリでご紹介いたしましょう。

追記:
今の私は,林の授業人間について」をかなり強烈に批判できるし,批判されるべきだとも思っている。林の思想については軽々に批判できるとは(さすがに)思っていないが,少なくとも戦後日本の歴史上に現れた一つの「思想」として批判的に検討されるべきものだとは思っている。

にもかかわらず,なぜ私みたいなもんが「林竹二」にくり返し言及するかというと,かれが実際に授業した教育思想家,だからだ。

これがかれを(少なくとも私にとって)特別な存在にしている。

そのことの意を汲んでくださる読者が,ここに何人いるかは別として。