14日東大情報学環シンポ「闘争としての政治/信念としての政治」にむけて予習.
野中広務・辛淑玉(2009)『差別と日本人』(角川書店).
・すでに言われつくしていることだし自分でもかつてちょっとだけ触れたこともあり今更なのだが,戦後日本を考えるうえで大正後期〜昭和初期生まれコーホートの重要性は決定的.野中氏は1925(大正14年)生まれ.「昭和」と(ほぼ)同い年の政治家.
・地方・有為のノンエリート青年にとって「国鉄」という近代組織が果たした機能,そこで得た経験や認識枠組みの重要性もまたしかり.「軍隊」経験と比肩しうるほど.これもすでに指摘されてきたことだが(←近いところでは『職業と選抜の歴史社会学』世織書房など),改めて.
・ただし,1930年代末〜40年代初頭という時期の京都府園部において旧制中学校に進学している人物を簡単に「ノンエリート」と呼んでよいかどうかには留保.かつてこのあたりの研究にかかわったときには「地方の最高学府」とか「在郷新中間層」とかいう言い方をしていた気がするが時期的・地域的な要素も考慮する必要があるし,もう少し“このあたり”の概念を彫琢する必要があろう.
対談の途中にゴチック体で挿入される辛氏の文章(注釈?)には当初読んでるリズムを崩されて正直違和を感じたけれども,時に熱く時に静謐な筆致は読んでいる者をハッとさせる場面も多く,途中からは馴染む.
「野中広務」という政治家は、談合で平和をつくりだそうとする政治家だった。
オバマは演説で平和をつくるのかもしれないけれど、野中氏は、そんなものは信じない。人間の欲望や利権への執着といった行動様式を知り抜いているからこそ、それらをテコに、談合と裏取り引きで、平和も、人権も、守ろうとしたのではないだろうか。それも生涯をかけて必死で。
私は、その姿に、胸の痛みを覚えるが、同時に、これはこれであっぱれな生き方だと思えてならない。(187頁)
もちろんこの本のテーマそのものをめぐって胸に迫るものは多くあるが,ここではさしあたっての趣旨にのみ禁欲する.
以下,しばらく断続的に続く(かも).
追記:
なんかはてなの調子悪いっすね.商品紹介したいのですが,取り急ぎ本文だけアップ.
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