思想地図vol.4

エントリが遅れてしまいましたが,編集部よりご恵投いただいておりました.ありがとうございます.遅れているあいだに(そんなことと無関係に)発売初日に増刷が決まりましておめでとうございます.私も読ませていただきまして,今までの本誌(全部で4号ですか)のなかでいちばん早く読み終わってしまいました.自分のが載っているのより早いというのもいかがなものかと.

テーマ的にいちばん面白く読んだのは黒瀬さんの「新しい『風景』の誕生」ですかね.理由は単純で『日本・現代・美術』が論の入り口に置かれていたから.

起源としての「アジア太平洋戦争」によって歴史を剥奪された戦後日本という「悪い場所」を論じる視点がすでに(近景と遠景の不気味な接近を特徴とする)「セカイ系」である,と.そこから特有のアニメ表現論が展開されたのち(このあたりで近年のアニメに見られる「定型」性を宿した新しい「風景」の描かれ方(と受容のされ方)が論じられるわけです),最後は「ピカッ」に至って「『悪い場所』の忘却と反復のなかで布置を変えてしまった虚構世界と現実世界を,一枚の『風景』としてぴったりと重ね合わ」される瞬間を見出す.そこに見出されるような物語/「風景」の構想こそが「今日における表現にほかならない」のだと.

ちょっと感想として思ったのは,議論を収束させるのが“はやすぎる”のではないかってこと.ふつうの人がふつうに見ているものを別様に見えるように転換させる力をどうやって文章に宿すか,っていうことは分野の如何を問わずつねに重要な課題だと思いますが,漠然と思うのは,議論を収束させる「速度」がカギではないか,と.

「“言説分析”もまた言説実践なのである(それもまたその後に“分析”されることとなる一つの言説にしかすぎない)」的な言いかたってありますが,それでも「分析」として残る実践かそうでないか,っていうのはその「言説」の議論の収束速度みたいなものとかかわりあるのかな,と.この収束速度を誤って上げてしまうと平板な「言説」として時の海の中に沈んでしまう,と.

なんか稚拙に抽象的な書き方しかできませんが.

でも面白く読ませていただきました.

それ以上に面白かったのは,その黒瀬さんが聞き手の一人になっている村上隆さんへのインタビュー「アート不在の国のスーパーフラット」.

そうか,「総中流社会」日本とは「スーパーフラット」ということであったかw.しかしあながち冗談でもなく,このコンセプト(?)の訴求力はすごいと思う.なんか「何かが言われた」気がするし,近代日本を「スーパーフラット」で読み解く,とかも言えてしまいそうw

96頁冒頭の発言「ちがうよ!」以降の村上さんの話はすごいことを言ってる気がする.将棋の羽生善治さんの話を引き合いに出しながら,やっぱり「はやさ」の問題―答えを出す「はやさ」―に言及されててのけぞる.

私にとっても耳が痛い発言が,村上さんの口からは当たり前のように流れ出てくる...

・・・逆に言うと、これは予備校の絵なんです。短時間の内に結果を出して、それで試験を通るか通らないかという絵。しかし、大学問としての美術とは何かというと、複雑な手を複雑なまま保留して頭の中での思考回路を複雑なままキープしながら、それで必勝という手を見つけるという羽生さんの論理と同じものなんです。・・・(中略)・・・複雑な詰め将棋を毎日毎日、何千手もやって、考え続けなきゃいけないと思うんです。(104頁)

 [黒瀬さんの絵は:引用者]良い作品だと思います。潤いはあると思う。だけど、それえは若描きというエクスキューズがあっての評価ですね。そこから先をどうするかというのを、考えなきゃいけない。・・・今の戦場を認識してくださいね。コンテクストでぐいぐいやっていくのか、それとも身体を鍛えてぐいぐいやっていくのか。
 だから、羽生さんの本で出てくる「大山(康晴)さんの将棋はやっぱり強かった、彼は負けたけど将棋の力は強かった」というのが、僕が求める将棋というか、僕が求める芸術だなと思ったんですね。つまり、ものすごい闘気が盤面にあらわれていて、勝とうが負けようが対峙している相手にとっては感動的な瞬間であるという姿は、僕がアトリエに入った瞬間にアシスタントと一緒にやっていく作業の中でここぞというときにやる作法にそっくりな気がしたんですよ。それが、本来だったら大学で一番教えなくてはいけないことだとは思うんだよね。(105頁)

この真剣さに対峙できるか.

黒瀬さんは幸せですね.ここまで真剣な言葉に直接触れることができて.

NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力

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