社会的排除と教育社会学(1)

これまでの日本では教育問題や教育政策についての議論は社会政策と分離して論じられる傾向が顕著だったように思う.私は入会しているが,社会政策学会に入会している教育学者というのは何人いるのだろう(あ,ぼく教育学会には入ってなかったw.どう見ても教育学者じゃないかw...あはっ).社会学者はそれより多いか.しかし教育社会学者はきわめてわずかであるはずだ."Social Policy" といえばそこに "Education" も含まれているのが当たり前の海外の状況と見比べると際立つ現状なのではないか(←よく知らんけど).

けれども現代の経済のグローバル化や情報化に伴う雇用機会の移動・流動化や労働の質的変容のもとで労働と教育(人的資本形成)とのリンクはかつてなく重要性を増しているし(education-based society),子世代への教育上の機会均等政策は親世代への雇用・社会保障面での社会政策的介入に近似するという面もある.また近年脚光を浴びている概念でいうと,「社会的排除」の現実を克服し「排除」されている層を再び社会に「包摂」していく手立てを考えるうえでも,「教育」という補助線を引きつつ労働・雇用・社会政策の問題を考察していく領域横断的な思考法こそ,いま求められているものだ.

社会政策論のほうがそういう現状に対して敏感だ.その一方で教育社会学の感度は鈍い*1

社会政策学会のすべての歴史を網羅して書いているわけではないので正確ではないかもしれないが,2004年5月の社会政策学会・第108回大会の共通論題に非会員であるところの(かつ現在は日本教社会学会会長であるところの)耳塚寛明氏が報告者に招かれたのを皮切りに*2,第111回大会(2005年10月)の小杉礼子*3,第112回大会(2006年6月)の苅谷剛彦*4,第114回大会(2007年5月)の本田由紀*5と,いずれも(たしか)社会政策学会員ではないところの教育社会学者が招かれて報告を行っている.

EUで「社会的排除」論(=「社会的包摂」政策に関する議論)が力をもってきている現状と照らし合わせれば社会政策学会としては当然の招待であろう.

私が実際に参加して議論を傾聴したのは,最初の耳塚氏が報告をした法政大学多摩キャンパスでの第108回大会でのやりとりだった.

長くなりそうなので,以下つづく.

*1:若い世代では感度の高い研究者もいて,試論的な議論が生まれてくる兆しもないではないが,私の目にはそうしたものはまだ教育社会学が伝統的に「得意」とする方法論や問題設定の枠組みと,新しい問題関心とが焦点を切り結べていないもののように映る.

*2:共通論題「若者―長期化する移行期と社会政策」にて「揺れる学校の機能と職業社会への移行―教育システムの変容と高卒無業者」を報告

*3:共通論題「社会政策における福祉と就労」にて「職業生活への移行支援と福祉」を報告

*4:共通論題「『格差社会』のゆくえ」にて「『学習資本主義』と教育格差―社会政策としての教育政策」を報告

*5:共通論題「子育てをめぐる社会政策―その機能と逆機能」にて「『子育て』をめぐる格差と混乱」を報告