反省とかいろいろ

数日前に「教育学」者への違和感を(また)表明するかのようなエントリを書いた.もうこんなことはやめようと思う.こんなのはすでに「教育社会学」者を自称する人間のクリシェだ.なんの意味もない.もちろん「教育学」に問題がないわけではない.しかし,もうそういうのに対する違和の表明は苅谷剛彦広田照幸の世代でカタをつけたことにしてしまって(たとえば最近では広田照幸「教育学の混迷」『思想』第995号,2007年3月号→同『格差・秩序不安と教育』世織書房,2009年所収),その次のステージに行こう.

だいたい自分の研究の周辺(のみ)にしか反応を示さない研究者なんて「教育学」者にかぎったことじゃない.(私の世代ぐらいの)「教育社会学」者はよく「教育学(者)ってさぁ...」と,さも自分のやってる「教育社会学」が「教育学」でないかのようなクリシェを使いたおすが,そもそも「教育社会学」だって「教育学」だろうが.

9月30日付けエントリ後半部分の内容は撤回します.われながら読むに堪えない浅薄な雑感でした.当該エントリは自分への戒めのため晒しておこう.

...とか反省しつつプライベートの事情で金沢へ.石川県立歴史博物館で開催中の「本願寺展」をみる.当館は戦前の陸軍兵器庫から戦後には金沢美術工芸大学として使用されたこともある赤煉瓦造りの建造物(明治末〜大正初期建造).親鸞聖人750回大遠忌記念の展覧会.名古屋で開催中に行きたかったが行きそびれたものを,この機会に見てきました.朝イチで行ったつもりが真宗王国・北陸の中高年たちと,中学校の社会科教師に「行け」と命令されて来た中学生たちとでごった返す.

こういう宝物に評価下せるだけの教養,自分になし.思ったことは「親鸞さんって几帳面な人だったのね」てなことぐらいか.でもまあ,「なんで西本願寺東本願寺に分かれているのか」「でありながら,なんでお互いに“おにしさん”と“おひがしさん”とかって“お○○さん”と敬称でよびあうのか」「なんで宝物は西本願寺に集中しているのか」などなど,義務教育レベルで終了している日本史教養の補填には最適.個人的には経とか軸物より本願寺の襖絵とか天井絵とか欄間(←これがとくに)の展示が印象に残る.

私,一応,西本願寺系の私立大学で働く身ですので.職員は西本願寺の国宝指定のお堂とか頼めば中に入れて見せてもらえるらしいが,その特権はいまだ行使せず.で,どうしても見たかったわけ,いろいろと.

もう一件,「金沢くらしの博物館」も軽く見る.これは戦前の石川県立金沢第二中学校(現・石川県立錦丘高校)校舎として使用されていた建物(明治32年)を現在も利用しているもの.戦後には金沢市立紫錦台中学校の校舎として昭和40年代初頭まで利用されていた(こっちのほうが驚き).拝観料タダ.展示そのものよりも,この校舎(屋根に三つの尖塔があるところから「三尖塔校舎」との愛称.誰もそう呼んでるとこに遭遇したことないけど)が昭和40年代に市立中学校校舎として利用されていた光景の写真のほうに魅かれる.ちなみに現在も館内からは紫錦台中学校グラウンドがすぐそこに見えて,ふつうに中学の体育の授業風景が繰り広げられる.うーーむ,「教育の歴史社会学」を専攻したものとして,すごくシュールな図.

近くもう一度金沢に行かねばならぬので21世紀美術館で開催中の展覧会はそのときのために残しておく.

このあたり,兼六園周辺から本多の森公園あたりは旧制第四高等学校校舎(現・石川近代文学館,石川四高記念文化交流館)もあって,近代建築好きやアート好きにはたまらんスポットでしょう.

しっかし,金沢,美術館だの博物館だの文学館だの,この手のハコもの,ほんっとに充実.腹たつぐらいに.