かみあわんな...

結構な数の「研究者」の方とざっくばらんに,しかしかなりのガチで長時間話し込む.「教育」をめぐり.

ずっと「教育」の近辺でいろんなことを調べたり考えたりしてきたつもりだったが,自分が根本的なところで「教育を考察する」ことの勘所をはずし続けてるんじゃないかと,脱力.

もしも世にある「教育」研究が勘所をはずしていないのだとしたら私は根本的にはずしてる.万が一私がはずしてないのなら世の「教育」研究がはずしてる.

まあその昔,日本教社会学会で学会発表したときに司会者から「それでは私から...今日のこのご発表の教育社会学のなかでの意義について,かいつまんでご説明願えますか?」って質問(コメント?)された人間だからなぁ...おれ.

教育社会学やってるつもりが司会者(学会実力者)の目には教育社会学に見えないんだもんねぇ...その時点で気づけよ,ってことですか.
ってか,そういう経験してる人って他にも(こんな質問受ける人が他の領域にも)いるもんですか?(←虚空への問い)