行政の下請け教育学w

広田照幸『ヒューマニティーズ 教育学』岩波書店,2009年.

よい.ここしばらく自分でやってみようかと色気が出ていた類の仕事もすでに大筋でやられているのを確認して読了.とくに3章(2)「教育可能性に向けたテクノロジー」の箇所.もう少し詰めた議論もできるかもしれませんが,大筋に影響なし.過去の教育思想を学ぶ意義というのが教職科目ではとかく見失われがちなわけですが,このように現代の教育実践に受け継がれている面に気づかせつつ論じるという手法で読者を惹きつけることに成功していて(たぶん),よし.そういうのって他にはソクラテスプラトンを「教科学習」対「総合学習」で対比させて古代ギリシアの思想でもって現代の教育課題を読み解いた好著,小玉重夫さんの『シティズンシップの教育思想』(白澤社,2003年)ぐらいですか.初学者には(つまり学生さんには)よいと思います.

いま重要なのは「教育の目的」を語る「思想」の言葉であるという本書の主張はその通りであると思うのですが,「教育社会学の歴史研究」なんていう辺境のまた辺境にいるような人間によって今さら改めて喝破されなきゃいけないところに,現在の教育学(とりわけ教育哲学・教育思想研究)が置かれている現状が浮き彫りになって脱力.長くなりますがそのまま引用.

 教育学者が確固とした足場に立って教育の目的について語りえなくなった近年の事態は,実践的教育学の規範創出力が著しく減殺された状態である.これは,教育哲学や教育思想史学を研究する者だけの問題ではない.他の分野の教育学者にも大きな影響を及ぼしている.
 教育社会学者も,教育心理学者もどの分野のものもみな,「規範欠如」に悩むことになるからである.第二章で述べたように,教育社会学教育心理学のような実証的な教育科学は,厳密な手続きで明らかにできている部分は,実はそれほど多くない.複雑な連関構造をなしている現実の,ごく一部分を,限定された枠組みで切り取って検証した知にすぎない.だから,現実に対して何かを提言しようとすると,実践的教育学から規範を借りてきたり,実践的教育学が作ってきた推測を補助的な仮説として使ったりすることを,どうしても避けられない.
 実践的教育学の規範創出力が低下してしまうと,結局のところ,そうした教育科学は,外部から単純な価値尺度をもちこむか(たとえば「平等が重要」とか),自前の実践理論(自分の体験に根ざしたあやしい教育論)をあてにするかしかなくなってしまう.さもなければ,現実の教育に対して何か有効なことをいうのをあきらめて,研究のための研究に閉じこもることになる.
 あるいは,教育経営学や高等教育論など一部の分野でみられるように,目的や目標は,政策レベルで設定してもらって,自分たちはひたすらその目的や目標の合理的遂行に努めるという,「教育(学)のシニシズム」に陥ることになる.行政の下請け屋だ.(114-115頁)

全部思い当たる.

「改革を効率的に遂行するための下請け教育学」(118頁)って.また反感を呼びそうな正論をはっきりと.

要するに「ポストモダン(笑」以降どうするか,っていう話の教育学バージョン.広田先生個人は(この本でははっきり言ってないけど)明らかに「主体=市民」の形成という理想に対して実存的に身を賭すタイプの人なわけです(←決めつけ).これに対して,それ(「主体=市民」の形成)への諦念から出発するしかない,という思想的地平を「教育学」の世界で展開するとしたらどういう議論になるか,というあたりで考察しようかなと思いますが,それはオフラインでのお仕事につながってきそうなので,ここではここまで.

こういう問題を教育社会学の領域でもっとも早くから,そしておそらくもっとも徹底して考察してきたのが森重雄先生.お亡くなりになった知らせを聞いた時の衝撃は今でもこの身に残る.森さんはたぶんあまりに誠実にすぎたのだ.研究者としての知的追究の営みと一個人としての自身の人生とを一致させることにおいて.みんなもっとずるく生きてるのに.公的発言では教育における「格差」や「早期選抜」の弊害を声高に説いている教育社会学者の大半が自分の子どもは私立一貫校にシレっと入学させている,このご時世に.

広田先生が代表の共同研究の学会発表を担当したことがある.日本社会学会だ.4人の発表に対して聴衆が8人ぐらい(発表者+広田先生含むw).森さんはわざわざ来てくれて,わざわざ厳しいコメントをいくつも提供してくれて,わざわざ電車で逆方向の私達の宿舎近くまで来て打ち上げに付き合ってくれて,で,全額お代を支払ってくれた.食え食え,つっていっぱい食べさせてくれた(当時私は金のない院生だった).なんかすごい記憶に残ってる.旨かったから,そこの居酒屋.森さんヒレ酒うまそうに飲んでた.

同じ会場に別の学会で行ったとき,ぜったい夜はそこの居酒屋で食おう,つって宿からずいぶん歩いて奥さんと一緒に行ったらお店がなくなってた.ヒレ酒飲みたかったのに.

あの旨かった居酒屋はもうない.そして,あの誠実だった森さんはもういない.なんかそんなことを思い出してしまった読後感.

追記:
あーでもこの本,デュルケムに触れていないというのはどうでしょう? そういえば私はデュルケム重視で構想していたのでした.ま,じゃもう少しだけ継続して考えておきましょう.

教育学 (ヒューマニティーズ)

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