チェック...ダブルチェック...(1)

やっぱり見てしまった.最初っから最後まで.

クライマーズ・ハイ」(原田眞人監督,2008年,日本).

いやテレビでやってたんでね,昨日の話なんですが.フジテレビ.劇場公開時に2回見に行ってましたから.見ないで勉強しようと思ってはいましたよ.でもまあやっぱりダメでした.見ちゃいました.

横山秀夫の原作から脚本化.1985年8月12日・日航機・御巣鷹墜落事故発生からの地方新聞社(群馬県・北関東新聞社(架空))の1週間.最初に映画館で見たときから,いろんな角度から琴線に触れてきて自分でも驚きました.

とにかく出演されている俳優の方々の演技が素晴らしいです.これについては一人ひとりの名前を出しながら紹介するのももどかしい.主演の堤真一さん(悠木和雅役)は素晴らしい.あと個人的には高嶋政宏さん(安西耿一郎役)が印象に残っています.最初に映画館でみたときに「なんでこんな聞き取りにくい喋り方になっちゃってるカットでOK出たんだ?」って思いながら冒頭部分のシーンを見ていたのですが,それは「演出=演技」だったわけで.あんまり演技がうまい人っていう印象がなかったもんですから余計に.

私ぐらいの世代(1970年生まれ)にとって1985年の日航機墜落事故が人生で最大の,とまで言わなくとも物心ついてから最初の大きな「メディア・イベント」だった,というのはこの映画を見てから気づきました.冒頭,衝立岩が大写しにされて音楽が流れるだけのシーンがあるのですが,その時点ですでに「あの事故」の記憶というか雰囲気が蘇ってきて,なんか涙ぐむというかなんというか......あのニュースがテレビに映し出された「あの時」,奇跡的に生存者が救出された「あの時」,自分が何をしていたかを明瞭に思い出せるのです(うちの奥さんも同様のことを).急降下してしまう機内で書きなぐられた遺書が発見され,それを朗読するテレビ・キャスターとか(「パパは本当に残念だ」).

音楽も大変よいのだと思います.

いろんなテーマが埋め込まれていますし,見る人の立場によって琴線に触れるポイントも変わるでしょう.ちなみに私は「中央・大企業」の全国紙vs.「地方・中小」新聞社の対立構図として見てしまいます.資本力も人材も何もかも劣勢に立っているなかで,どこまでプライドのもてる仕事をするか/できるか,とか,何人もの優秀な先輩や同僚たちが中央の全国紙に引き抜かれていくなかで,地元紙の矜持としてできるかぎりの妥協なき仕事をしていこうとする人間の物語として悠木に仮託してしまいます.あ,当然「地方and私立and小規模」大学vs.「中央or国立or有名私立,そして大規模」大学のアナロジーですねw.うちの奥さんはまた違って,頭の固い,過去の栄光にすがる,それでいて(それゆえに?)権力者(経営者)にはおもねる「上司」と闘いつつ仕事を遂行せねばならない「苦闘」の物語として悠木に感情移入してしまったそうで.少なくとも私は自分の職場を映画に重ねて見てしまっていますね,完全に.

若い後輩記者:「一つ聞いていいですか?」
悠木:「10秒![だけ聞いてやる]」

若い後輩記者:「北関[北関東新聞社]を辞めようと思ったことはないんですか?」
悠木:「......ないっ!」

とかね.

映画に対する注文が一つ.「PTSD」という概念がなかった頃の悲劇を示すエピソードや,当時の「過労死」の状況を印象的に挿し込んだりしているストーリーで,登場する女性たちのファッションや使用する車まで時代考証に気を配る(当然だろうけど)演出にあって,なぜ黒田美波と悠木が喫茶店で会話するシーンでは「セクハラ」という単語を無造作にセリフのなかに入れちゃいますか? なんか理由あんの?*1

テレビ放送したテレビ局に対する注文が一つ.こちらはかなり深刻です.

映画のクライマックスは事故原因(「圧力隔壁の破壊」)のスクープをめぐる緊迫した展開.悠木は全国紙に伍してスクープを打つために最新の注意を払って最後の賭けにでる.そこに登場する映画「Ace in the Hole」の挿話.カーク・ダグラス主演のこの映画に登場する小さな地方新聞社の編集長.ベルトをしているうえにサスペンダーもしている,この初老の編集長は,仕事のうえでも「チェック...ダブルチェック...」の人なのだ.それこそが新聞記者のあるべき姿.“たぶん”“おそらく”“きっと”“思います”は排除しろ.「この時点では“また聞き”だ」.確実な裏をとれ.スクープを焦って誤報を流すことだけは許されない.

チェック...ダブルチェック...それこそが新聞記者の倫理なのだ.
(以下ネタばれあり)


最終的に悠木には墜落原因としての「圧力隔壁の破壊」説のスクープを打てなかった.「チェック...ダブルチェック...」.最後の最後までこの言葉をつぶやきながら逡巡した彼は裏を取りきれた確信がもてず,販売局との「戦争」にまで突入して賭けに出た生涯一度しかない大スクープのチャンスを逃す.

次の日,毎日新聞(当然,中央・全国紙)に「圧力隔壁の破壊」説を事故原因としたスクープ記事が打たれていることを悠木は知る.事故調査委員会の温泉宿に夜通し張りついたあと寝ずに車を飛ばして悠木の自宅まで駆けつけた後輩記者によって.

後輩記者:「毎日が[スクープを]打ってます」
[略]
悠木:「すまんな.俺が[日航機墜落事故の]全権[デスク]じゃなかったら,お前ら今頃スター記者だったのにな」

後輩記者:「でも悠木さんの判断は間違ってなかったと思います.それだけ伝えたくて.それだけは誰よりも早く「抜き」たくて[夜通し温泉宿から前橋まで車を飛ばしてきたんです]」

けれども,映画本編が終わった最後に画面には,文字が映し出される.現時点では1985年御巣鷹に墜落した日航機の墜落原因を「圧力隔壁の破壊」とする説には重大な疑義が呈されている.大略,そのような主旨の文章である.

これは重要である.短期的には悠木は「負け」た.しかし,長期的にみた場合,正しかったのは[=勝ったのは]悠木だったかもしれないのだ...という物語の幕切れ.しかもそこには早々に「圧力隔壁の破壊」で事故原因の追究を収束させたかった勢力の存在をも暗示する一つのメディア批判(←おおごと)ともなっている.

そこまで“込み”の映画でしょう? チェック...ダブルチェック...というのはこの映画の根幹の「思想」ですよ.

それをこの日放送したテレビ局は(あえて名前言わず),別のテロップを出しやがった.

「この映画は1985年日航機墜落事故を追った架空の新聞社の物語です」とかなんとか,大略,そういう主旨の文章.

いちいち映画のテレビ放送の編集に切れたりしませんよ,ふだんは.しかし,このテロップの差し替えはないでしょう? これじゃ上記の後輩記者の「でも悠木さんの判断は間違ってなかった」という言葉がただの上司と部下の「いい話」じゃないですか? そうじゃなくて現場で事故調の担当者に直接会って裏をとった者だけが知る皮膚感覚が「悠木の判断は間違ってなかった」と言わせ,かつ,今日においてはその「皮膚感覚」の妥当性を支持する論調が有力なものとしてある...そこまで込みでのラストでしょう?

悪質です.

そんなわけで一晩怒りを寝かせてからのエントリでした.

*1:...と思ってWikiったら他にも細かくズレてるポイントがあるんですね.なるほど.