ロールモデルになれない親たちへ

子どもの教育達成にとってロールモデルが身近にいるかどうかが重要な要因であることは周知のとおり(最近では阿倍彩さんの『子どもの貧困』岩波新書など).とりわけ親がそうなれるかどうかという要素は大きい.そして,そのことを誰より深く(研究者より深く)自覚しているのは当の親本人であったりもする,ということが大学進学の局面でははっきりとあらわれる.

大学のオープンキャンパス(以下,OC)などで受験生本人だけでなく親同伴での来場が多いこと,あるいは本人「ではなく」親だけがOCに来る現象をもって,「まったく(最近の)日本の大学教育事情ときたら」と訳知り顔で慨嘆する大学教育関係者も少なくない.

しかし,少なくとも私の勤務校の実態に関するかぎり,大学のOCに来場する親の大半が大学教育未経験者である.つまり,その子どもは一家で初の大学進学者,「大学一世」(by 矢野眞和)となるべく大きな期待(と不安)を寄せられた存在なのだ.

また,子どもの大学での処遇に抗議してくる(ときに大学関係者にとっては「理不尽」と思えるような)親にも,本人が大学教育を経験していない場合が少なくない.

高校までで教育を断念した親たちにとって,学校生活上に必要な事務連絡のたぐいは教師がホームルームで「配ってくれる」ものだった.だから,掲示板を「自分でみておくべき」という慣習が理解できない場合がある.

教育実習,介護等体験実習など教員養成大学の学生には多くの実習が課せられるが,その大半が各自で実習先ごとに異なる日程や要領を確認しておくべきものとなる.もちろん,ほとんどの学生はその情報を自己責任で処理し,つつがなく所定の単位を修得していくが,なかにはそれができない学生もでてくる.

何度もくり返し担当教員や実習課の事務職員から携帯電話へ注意喚起の連絡をしたにもかかわらず,本人がついに必要な事務処理を怠ったために単位認定を受けられず卒業or免許状取得にいたらない事例なども年に数件は発生する.

その抗議にきた父親はふつうに眺めれば「クレイマー」,あるいは「モンスターなんとか」の類であったかもしれない.

ずいぶん続いた押し問答の末に気を利かせた事務職員がその父親を「掲示板」の前に連れて行くと,何人かの学生が自分に必要な事務連絡を手帳にメモしている.その姿と「掲示板」というものの存在にようやく気づいたその父親は,しばらくの沈黙のあと,

「字が小さいっ!」

とだけ叫んで帰って行った.

たしかに介護等体験実習の割り振り先連絡の字はものすごく小さくなる.350人分ほどの情報が大きな用紙に印字されて掲示されているからである.

大学教育を自身で経験していない親にとって一番の難関はなんといっても大学入試.世界最高水準にまで多様化した日本の大学入試のさまざまな方式をすべて理解するのは至難の業である.

一般入試というのがどうやら(自分の知っている,あの)高校入試と一番近いものらしい.それ以外に推薦入試というのがあって,これは早め(秋ごろか?)に行われるらしい.これは「勉強の試験」とは違うもの,面接だけで合格できるもの.いや,最近は面接だけっていうのはなくて推薦入試でも「勉強の試験」が行われるのが当たり前...

というあたりまではいける.

しかし,ここに「推薦でも公募制と指定校制がある」,あるいは「AO入試や自己推薦というのもある」(それが「推薦」とどう違うのかはわからない),「いや私立大学なのにセンター試験入試というのもあるそうだ」...とたたみかけられると混乱する.しかも,こんな「大学出の人なら誰でも知っていそうなこと」を改めて尋ねるのは恥ずかしい.また馬鹿にされる(口には出さなくても心の中でそう思われる)のではないだろうか...

私が対応した質問だけでも,「推薦入試で落ちたら一般入試には出願できないのか?」「センター入試も重ねて受験できるのか?」「推薦入試で課せられる基礎学力試験は“赤本”にある過去問題をやっておけば対応できるか?(つまり推薦入試で出題される問題は一般入試のそれと同系統のものか,と尋ねられているわけです)」「一般入試は3日間行われるが一回分の受験料で本当に3日間とも受験できるのか?(うちの大学はそうしています,つまり一般入試前期は1回受けても3回受けても受験料は同じ料金)」などなど,そして必ず聞かれるのが,「子どもに受験までの期間,どういう勉強をさせれば合格できるでしょうか?」という質問.

ご自身は「大学に合格する」という経験がないからわからない(もしくは,「こうじゃないか」と思っていても自信がもてない)のである.

「赤本」という言葉を知っているだけ,こういう方はご自分でずいぶん“研究”されているのだと感じる.ちなみに大学教員のみなさんは,ご自身がお勤めの大学で学生に「“赤本”という言葉を知っているか」「知っているとすれば,“いつ”,”誰から(もしくは“どのようなルートで”)初めてその存在を知ったか」を尋ねてみてください.

時期としては「小学校高学年」から「高校3年」までバラけます.私の勤務校では1%ぐらいの割合で,大学生である現時点でも「知らない」という学生(それを知る必要がないルートで“運良く”大学教育まで辿りつけた学生)がいます.知った時期が高校2年生以降の学生はほとんどが「進路指導室にあった」「教師が教えてくれた」「大学のOCで教えてくれた」というルートです.それより早い時期に「知る」生徒は,ほとんどが「親が教えた(買ってきた,という事例もある)」「兄もしくは姉が買ってきて勉強しているのを見ていた」「友達と本屋に行ったとき,その友達が知っていた」など,周囲のロールモデルがきっかけとなっています.ということは,ロールモデルが周囲に希薄な生徒に対しては,「こんなこと当たり前」と思ったりせずに,「“赤本”っていう過去の入試問題集があるから,入試直前はそれで勉強してみたら?」と大学のOCなどで誰かが助言してやる必要性が大きい,ということです.

OCに来場した親からの質問にひとつひとつお答えしていくと,その方の不安感や焦燥感が音をたてて氷解していくのが感じられる.ものすごく緊張しているのだ.自分が大学を知らないが故に,どのようなアドバイスを子どもにすればよいかが分からない,そのことに対して.

「この子は私と一緒でほんとうにバカなんですけど...」と切り出してから質問を始められるお母さんもよくいる.たいてい,すでに親子の関係がギクシャクしてしまっている.

そういう場合,ゆっくりとお話しすることにしている.

一人でOCに来場した女子高校生がケータイで親と話している風景.説明してもなかなか通じないからだろう,だんだんその子の声のトーンが高くなり怒声を帯び始める.

はじめて勤務校のOC対応をした3年前,アロハシャツをまといリーゼントにサングラス(!)姿のお父さんと茶髪にジーンズ姿のお母さんと一緒に来場した男子高校生(イマドキ風ファッションに身を包んだ彼)の3人連れを見たときはさすがに腰が引けたw

けれども,そのあと通りすがりに聞こえた父と息子の,

「どうだ,お前のやりたい勉強ができそうか?」「うん,この大学の○○っていうとこが一番自分のやりたい勉強に近いことができるみたい」

という会話が今でも耳に残っている.

「大学一世」を迎える大学という場がいかにあるべきか.

何が言いたいかというと,明日は今年度2回目の本学部オープンキャンパスの実施日.しっかり仕事をしてこよう,という自己確認.そして,みなさん,どうぞ奮ってご参加ください,というお誘いでした.

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)