社会学「再」入門

一般にイメージしがちな「社会学入門」書とは毛色が異なるけれども,広く人文社会科学の布置のなかに社会学という「発想」が生まれきたった由縁を示し,具体的な社会学の課題に接する入口にまで招待する,というこの本の構成は正しく「社会学入門」の書だといえるでしょう.これ,いいと思う.他の分野との位置関係で特定の学問分野の発想の独自性を理解させるほうが,学部一年生とかとっつきやすいと思う.

方法論的個人主義/合理的主体モデルの社会科学(経済学とか)と対置される社会学の発想(第1部),社会学を胚胎した時代精神としてのモダニズムといった議論(第2部)を経由して「社会的に共有される意味・形式の可変性・多様性についての学問」としての社会学にいたる道筋(第3部).うまいですね.で,その「変容可能性」を予測し介入しようとする「工学的アプローチ」は社会学は苦手だと.将来の変化を予測するためには「同一不変と想定するしかない法則性」を前提にしなきゃならないが(経済学とかと違って)社会学はそこまで割り切れないから.そこに社会学の「一般理論」「基礎理論」不在の状況の原因もあるのだと.

今後の社会学の方向性についての著者の見通しまで含めて,おおむね共感しました.「社会問題の折衷科学(臨床的政策科学)」or「〈異化〉を繰り返す問題発見の学(社会的構築主義)」という二つの方向性.

しかし,私見では「〈異化〉を繰り返す」ことには,現時点では忘却・閑却されている選択肢の可能性を想起させるという,きわめて実践的な意義があると考えています.問題の地平(=選択肢の構造)そのものに介入する実践.でなきゃ,「〈異化〉の繰り返し」なんてただの趣味の領域を出ないのではないでしょうか.

けどなぁ,おおむね共感するけど,「社会的に共有される・・・」ってなぁ...と思いつつ読んでたら最後の付録で著者が謝っておられたので納得.

私にとっては,

「日本だけがうまく西欧に追いつけたのはなぜか?」などという問いは,「東アジアの奇跡」以降の旧途上国の急激な経済成長の進行のもと,その答えが出る前に土台ごと無意味化しつつある.それが更に「なぜ西欧が最初に,自発的に近代化できたのか?」というウェーバー的問いまでも陳腐化させてしまわないという保証はありません.
 となればこの「日本思想史におけるウェーバー体験」は,ウェーバー自身の議論と同様,いや以上に,素直にわれわれが継承すべき生ける「伝統」ではなく,厳しく批判的に鑑定すべき「過去の遺産」なのでしょう.(188頁)

なんていう記述が「[第2部第10講の]最後に,つけ足しになってしまって恐縮なのですが」とかいいつつさらっと書かれてあるところがとくに楽しい.

個人的には行動経済学とか合理的選択理論とか数理社会学をどう消化するか,っていう宿題はあるけども,それは自分でやれって話.

社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)

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