中堅以下底辺あたり高校の進路指導

今日は教員免許状更新講習・選択の「若年労働市場の変容と進路指導」という,いまどきいろんなとこで聞きそうなお題のお話をしてきました.参加する教員のほうも大変ですな.この講習1日分(6時間)に1人6000円お支払いになっているわけですので.それなりの商品価値のある内容にするために,ここ1週間は準備に追われていました.自分としてはこれまでにない引き出しを1つ作るつもりで.

午前は若年労働市場をめぐるマクロ状況を歴史/国際比較の観点から概説し,それが高校とくに進路多様校(中堅以下底辺あたり高校)に及ぼしている影響関係という視点から,現場の進路指導の問題につなげていくという内容.大卒/高卒の相対賃金のお話や進路分化に及ぼす市場状況のお話など,しっかり活用させてもらいました.

午後は酒井朗(編)『進学支援の教育臨床社会学』勁草書房から,ある商業高校(「望見商」偏差値40未満,中退率(最大時)5割,卒業生の進路未定率(最大時)5割)におけるアクションリサーチの内容を概説,そこでの研究上の知見をもう少し一般化する解説と,その進路支援プロジェクトの実践上の意義を参加者の勤務校での現実にパラフレーズしてみる試みとをなす.

しゃべってみて,参加者とのディスカッションで改めて思ったことですが,やっぱりこの手の研究がほとんど首都圏の状況を前提に組み立てられていることの偏りってあるな,と.たとえば,バブル崩壊後の実績企業とのあいだの実績関係が壊滅したあと,「望見商」では入学者の質の変容が急激に起こり,生徒指導が成立しなくなって「アットホームな指導」に切り替わったことが,進路の水路づけを「上から強制する」指導を存立させがたくし,結果,高卒無業者を多く輩出する結果となった,というあたり.宮台さんの名前まで出てきて(文脈上,出すまでもないところだと思うけど),消費社会化の進展が...とか都市的状況のリアリティのほうが学校世界よりも...とかいう話が出てくるのですが,やっぱこれ東京のお話.

岐阜の高校の先生ってこともあるけど,「え?実績関係が壊れちゃったんですか?バブル崩壊のときに?」っていうノリですから.「世界のトヨタ」のお膝元で優良製造業が集積しているという面はあるにしても,いまだに「80年代的」な「学校に委任された職業的選抜」(by 苅谷剛彦)がずっと生き残っているという現状(その点では,本田由紀さんによる「高校と企業の実績関係って苅谷『学校・職業・選抜の社会学』が言ってたほどじゃないっすよ」という批判も,この地にいる限りでは,やっぱ苅谷テーゼのほうに軍配が上がるかなという印象です).

もう1つは,岐阜は小・中・高を通じて,きわめて生徒指導面がきっちり行き渡っている雰囲気のある土地柄です(この点は志水宏吉さんの『公立学校の底力』ちくま新書,にもちょこっとでてきます)ので,高校内部に消費社会のコンサマトリーな価値が浸透とか生徒指導が成立しなくなって「アットホーム指導」に転換とか,なんですかそれ,っていう感じでしたね.

それよりも,地方の公立底辺商業高校あたりでは違ったタイプの困難があるでしょう.低学力や家計の厳しさ・家庭背景の複雑さという問題は共通でも,生活面ではむしろ教師の「強制」的指導や学校−企業の既成の秩序に対してあまりにも従順な生徒ばかりが集まってきてしまう,という問題.それを「異化」する視点を形成する経験が生活世界のどこにも埋め込まれていないという状況.あるいは,中学校までにつまづいた学校体験(いじめや不登校など)がある場合,そういった過去の人間関係のしがらみがないから,というただその一心で(“リセットしたい!”),同級生が誰も進学しないような,その手の高校に進学してくる生徒が集積するという問題.

概して生徒の側にバイタリティに欠ける状況があって,それゆえに,教師の側にも旧来の指導態度や指導体制の捉え返しがなく,旧態依然とした進路指導のまま疑問が差し挟まれる余地自体がない,というところに問題の根深さがあるように感じます.

本書で強調されるナラティブ・アプローチにもとづいて生徒個々の「進路の物語」に寄り添いつつ,そこに「ゆらぎ」をもたらし,力強い新たな「進路の物語」の再構築を図っていく,という方法論も,そんな必然性を全く微塵も感じることなくそれなりにつつがなく機械的な進路配分が成立してしまっている世界の教員に対して,いかにしてその方法論の重要性を実感させられるか(今日の講習で少しは感じてもらえたはず,とうぬぼれてはいますが).

なんか「生徒の主体性や自主性を前提にした希望優先の進路指導なんてダメだ.主体性は目標であって前提ではない.主体性を形成していくためには教師がしっかりした“教育の論理”で上から望ましさの価値観を提示していくことが絶対に必要だ」っていう本書の結論部分が,周回遅れで「たしかにその通り」って支持される構造があるように思いますよ.その点,どうしていくかが今後の課題かな,と.

これは高校進路指導の問題に限らず,90年代以降の日本の教育社会学の言説全般にいえるポイントだと思います.私の最近の新たな研究テーマとしては「個性化教育」に向けられた批判もそうです.これはまた後日考えようと思います.

今はもう眠くて頭もまわっていませんので,おやすみなさい.

追記:
あでも,本書にでてくる「望見商」と「就職するなら堅田商」といわれるブランド商業高校とがあるんですが,そのそれぞれに対応するような,こちらの商業高校の先生がいらっしゃって,本書の中身と対応するような部分もすごく多くて大変興味深い議論ができたことも事実ですので,ご報告まで.

進学支援の教育臨床社会学―商業高校におけるアクションリサーチ

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公立学校の底力 (ちくま新書)

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