お疲れ

いろいろ書きたいこともたまってるのですが,疲れもたまってます.ここしばらく前期の多忙週間が続きます.

さしあたりオープンキャンパスと高校出前の模擬授業を2つ,こなさねば.

ということで,息抜きに,ここまで見ためていた映画から.

羅生門」 黒澤明監督(1950年,大映

言わずと知れた51年ベネチア映画祭グランプリ,52年アメリカ・アカデミー外国語映画賞受賞作.芥川龍之介原作「藪の中」から脚色.黒澤作品・資料のデジタル・アーカイヴ化が進展しているようですが,これもデジタル完全版が作成されたのを機に上映されたものを鑑賞.人形浄瑠璃の人形みたいな京マチ子がいいです.嗚咽,慟哭から哄笑へ移りゆく演技が特筆.

「平安の乱世」に仮託された敗戦後日本の規範と秩序の混沌.ねつ造をともなった自分の過去の〈吐露〉と〈懺悔〉.偽りの〈告白〉によって確保される現在の〈価値ある自己〉.すべてを日本の集合的な戦争=敗戦体験へとパラフレーズするのは,あまりに安易な読み方でしょうか.

「ラースと,その彼女」 クレイグ・ギレスピー監督(2007年,アメリカ)

期待せずに見ましたが,見ようによってはかなり面白い一品(見ようによっては,ね).

手元のチラシにある宣伝文句が言うような,そんなハートウォーミングな話ではありません.

まず,あの町の感じ.北米(トロントという設定?)の厳寒の気候,灰色の空,白い雪,乳白色の濃い霧,低い木々,小さな田舎町,狭い人間関係,出口のない未来,堆積する過去.

汎〈システム〉化のなかで離れ小島のように取り残された〈生活世界〉.「善意」と「共感可能性」に支えられて存立しているはずの〈生活世界〉の閉塞性・抑圧性と,それでもなおそれを維持しようとする営みが欺瞞を帯びざるをえない現代性とを,かなり意地悪く描いている作品にみえるのは気のせいですか?

ビアンカ」(主人公が「恋人」にする高級ダッチ・ワイフ)は,〈生活世界〉に逃れ難くまとわりつく,この欺瞞と閉塞感とを浮き彫りにするフックだというわけ.

グラン・トリノ」 クリント・イーストウッド監督(2008年,アメリカ)

おすすめ.

朝鮮戦争従軍経験をもつ主人公.〈戦争〉〈(性/)暴力〉〈アメリカ〉〈帝国〉〈人種/民族/移民〉〈ジェンダー〉〈赦し〉〈記憶〉・・・・・・といった問題群がわかりやすく配置され,かつ,エンターテインメントとしてかなり上質.主人公の朝鮮戦争時の〈記憶〉が重要なフック.

ただ個人的な印象としては,それほどの〈記憶〉をもちながら,主人公,饒舌すぎ.そんなに「語れる」ものか? もしあれがアメリカの文脈では不自然ではないとするならば,それ自体,〈アメリカ〉の特権性を指し示すものでしかない,という気がします.

ひとつひとつの台詞を吟味すると味わい深い.「わかりやすい」エンターテインメントに仕上がっていますが,決して〈人種/民族〉を「単純な」記号に切り詰めてしまってはいないと思います.

いやクリント・イーストウッドいいな.昔ならしたけど,よる年波には勝てず,っていう感じのさりげない下半身の衰え具合の演じ方とか最高.