やのっち

連投.

やの先生というと,これまたいくつかの「伝説」がある(勝手にいってるだけ,ともいえる).ただし,天野先生の逸話と違って,これは私自身は目撃していない.「また聞き」で耳にしただけであって,真偽の程は確かめられていない.

修士の院生が修論構想を必死こいて作ってきて報告しているゼミ中,「は〜あぁ」って退屈そうな声出したかと思うと勝手に退室していき,「え?」ってみんな思ってる(とくに報告者の院生は思ってる)なか,でも途中で報告止めるわけにもいかず,報告者が悲しみにくれながら報告終わった頃に両手いっぱいにジュースのペットボトルとお菓子が入ったコンビニ袋もって入ってきて,「みんな食べようよ」とか言って,そのあと報告関係なくダベッてたとか,東工大在職時代に,今は押しも押されぬスター学者になった当時同僚の○○さんの研究報告レジュメを,これまた報告途中に紙飛行機にして飛ばしたwとか...

あの,たぶん全部作り話だと思いますけど.

とある学会シンポが小渕内閣の教育改革国民会議の功罪を議論していた場で,登壇していた矢野先生の受け答えを会場の聴衆として目撃していた私は隣にいた某先生とともに,矢野節の炸裂ぐあいに,ほんとに腹を抱えて笑ったものだ.正しいことにウィットwを込めてしゃべることの大事さを知った.

学会といえば,私が初めて学会で研究報告したとき,懇親会のときに近づいてきて,「お前の発表面白いなぁ,どっからああいう話思いついた?」って話しかけてきたのが,やのっちだった(だんだん敬称略).その頃,「矢野眞和先生」っていうのは本の中でしか知らない人だったから「え?何このおっかなそうなおじさん?」って思いながらしゃべって,しゃべり終わってから「あのおじさん誰ですか?」って大学院の先輩に聞いたら,「何いってんの,今のが矢野先生だよ」って教えてくれた,その人が矢野先生だった.

「矢野先生が人を誉めてるの初めて見た」ってその人が言うので,いい気になって,それからしばらくしてゼミ打ち上げのコンパかなんかの時に,調子に乗って「ぼく学会発表のときに先生に誉められましたよねぇ?」って言ったら,「お前バカか,人前で誉められるなんて,そりゃバカにされてんだなって思え.ほんとに高く評価してるんなら本人前にしたら“まだまだダメだ”って言うに決まってるだろ」って切り返される,そういう先生だった.

私が当時手探りのままやろうとしていたことの勘所を,所属研究室以外の研究者で,最もはやく,そして最も高く(おそらくは実際の報告の水準からしたら不釣り合いなまでに)評価してくださったのが矢野先生だった.

その期待には未だまったく応えられていない.

そのとき以来の懸案にケリをつけるという想いも,今やりはじめた研究テーマには込めている.