教育と/のアーキテクチャ???

今日は講義がないので一日,岐阜県図書館郷土資料室で調べもの.なんか久しぶりの懐かしい感触(最近,懐かしがってばかりな感じがしますが).これから少なくとも3年間はかかわるフィールドの郷土資料に目を通し,土地勘を作り始める作業に着手.

たのしい.

手書きで地図を書いたり,ゴミみたいな,内容のうっすい資料を流し読みしていると,以前に山形県でおんなじような作業をしていた(させられていた?)時期のことも思い出す.

やろうとしていることは,1970年代後半以降の戦後教育−社会史のフィールド目線からの再構成.抽象的な水準では『思想地図』最新号のアーキテクチャ論との(っていうか,フーコーとの,っていったほうがいいか)つながりを意識しつつ,実証的な(っていうか学術書じゃないけど)水準では原武史さんの『滝山コミューン1974』の続編(?)としての自意識ももちつつ.

『思想地図』最新号には教育学者の論考は一つもないわけです.しかしながら,教育って領域はそもそも「子ども」という〈動物〉から〈主体〉になっていく(はずの)存在を相手にするわけです.教育における近代から現代への転換の一つの重要な転換点は20世紀初頭にあったとみるべきで,そこには,今はやりの言い方でいえば,〈規律訓練〉から〈環境管理〉への転換(正確には重層化)みたいなものが重ねあわされます.フーコー/デューイって対比で言ってもいい.

そうした思想レベルでの転換が日本の社会的次元ではっきりと持続的に志向され実現されはじめるのは1970年代後半から.1970年代半ばを交錯点として,戦後教育−社会史の流れには,一方に『滝山コミューン』的なものと,もう一方には,これからフィールド調査しようと思っている世界の流れと両方ある(のではないか=仮説).そして,この後者の流れには〈アーキテクチャ〉論との密接なつながりがあるといえる,と思います(言葉通りの「建築家」も多数,この流れには関与している).さらにいえば,この2つの流れは戦後資本主義への対抗思想/対抗運動が有していた2つのポテンシャルが,教育という領域で現したそれぞれの姿であった,とも思います.

......てなことを考えながら,楽しく予備調査の日々がこれから続く.