『労働者と農民』と「教育の歴史社会学」(3)

■(2)「階級概念の単位」問題−2:階級閉鎖的なまま階級形成的に展開した近代日本(あいかわらず瑕疵が目立ちますが,そこはまひとつ)

また,「階級概念の単位」問題は先の「近代日本の階級は開放的」とする論点にもかかわる.近代日本の階級開放性を強調する議論はほとんどがこの「階級概念の単位」問題に無頓着であるか,または軽視している.教育社会学の歴史研究としては,ほぼ現在の到達点と目してよい菊池城司の業績をしてそうである.かれがマクロ統計資料を用いて社会階層ごとの中等教育機会の構造を検討した研究は(菊池1967),選抜度指数を用いたその手法とともに「教育の歴史社会学」の一つのモデルとなった.しかし,この選抜度指数を用いた分析では中等教育進学者の職業別占有率を社会全体の職業別人口比率で除するのみで,社会階層ごとの出生力格差の存在を無視している.人口再生産の階層差を想定した場合,菊池が明らかにし,教育社会学の通説が想定しているよりも近代日本の教育機会は「開放的ではない」可能性がある.

世代間移動表に基づいて階級の開放性/閉鎖性を云々するためには,実際には人口構造要因*1をコントロールしなければならない .しかし,テクニカルにはこの作業が非常に困難であるために,近年の階級移動研究では社会全体の開放性を示すとされる総合開放性係数等の指標を用いずに,個別の階級ごとに世代間の結びつきの強さを示すオッズ比等を用いて相対的な結びつきの強さ/弱さを議論する傾向にある.この相対的結合関係という視角で分析すれば,近代日本の階級には一貫した閉鎖性が観察されることだろう(おお,言い切り) .近代日本の教育と階級との関係性は「階級形成的」ではあっても「階級開放的」ではない.もう少し正確にいえば“絶対的”水準では開放的=形成的であったが、“相対的”水準では閉鎖的であった*2 .この二つをきちんと分節化したうえで、“階級閉鎖的なまま階級形成的に展開してきた近代日本”の経験の意味を問題化していくことが必要であろう.

*1:人口構造要因に限らず本当は“無数”の要因をコントロールしなければ、階級の開放性を議論することはできない.「階級の開放性」という概念が「構造移動/純粋移動」という対になった概念を前提とするからである.人口学的要因は(もし適切な資料が存在すれば)開放性指数の算出に比較的容易に(=数学的に)組み込むことができるからここで指摘するだけである.しかし実際には「適切な資料」がなかなかないので「テクニカルにはこの作業は非常に困難」なのだ.裏を返していえば,世代間移動表を無数の要因すべてを含みこんだ総合的事実の提示としてきちんと(=限定的に)理解できていれば、それは十分有意義な分析ができるということでもある(無駄な注記w)

*2:しかし正直に私見を述べれば,絶対的水準についての議論であれ何であれ,近代日本の教育と階級の関係を「開放性」をキーワードに論じているものが想定している“基準”が私にはよくわからない.何を基準にして開放性/閉鎖性を論じているのかが不明瞭なのだ.学校における諸階級の「混合と併存」の事実を基準にするのなら,この意味で完全に閉鎖的な近代社会など地球上のどこにも存在しなかったのではないか.だとすれば,少なくとも他の社会――イギリスでもどこでもよい――と“比較”してどの程度開放的か,という論じかたをする必要があるはずだ(私はこの意味でも日本がイギリスよりも“開放的”であったとは信じていないが).程度の問題であるなら,程度の客観的な基準を提示してほしい.他方で,そうではない基準もありうる.次節で論じる問題でもあるのだが,人々の主観的リアリティを基準にする方法である.たとえ客観的機会構造としては,地主と小作の間の学校教育機会に100倍の格差があったとしても,現に進学している小作の事例が存在し(特殊事例であってかまわない),地主の息子と同じく机を並べ,いわんや成績においてはそれを打ち負かす――そういう可能性を信じる余地が生まれた歴史的な経験の有した重要性を基準にすれば,近代日本はすぐれて“開放的”であったということはできる.ただし,それは近代日本における近代的学校教育体系の成立と前近代的・半封建的な身分差別,抑圧・蔑視の存在との関連性,すなわち“個人”が析出される構造的側面と主体的側面との関連性という個別歴史的な条件下でしか理解されえない.それは分析の前提とすべきことではなく,それ自体が分析の課題なのではないか.