戦後社会史を読み替える

映画評や書評ばっかり続いてもしようがないので,少し別のエントリを.

『思想地図』vol.2に寄稿した拙稿「『総中流の思想』とは何だったのか」をお送りした敬愛する(数少ない)研究上の先達から望外のご返信をいただく.「戦争(敗戦)体験という変数を入れることで,戦後社会史を読み替えるという」試みとしてお読みいただけた.ありがたい.

戦後日本社会史が敗戦体験を言語化されざる基底として編みあげられてきたことを示すことは,ここ数年来の自分の課題であり続けています.「階級社会日本」が〈同時に〉「総中流社会日本」でもありえた戦後日本を,その基底から読み替えてみる――その一点で私の「方法論」は階層研究との接点を維持し続けます.また,私が小熊英二さんの『民主と愛国』の「方法論」に強く共感するのも,この一点においてです.ただ,思想家によって言語化された「戦後思想」のなかにそれを読み込むだけでなく,無名の人々によって生きられた言語化されざる社会史の次元で,なんとかその基底性(=物質性)の領域を掬いあげたい,と.けれども,そんなことが果たして可能なのでしょうか?

戦争体験・敗戦体験は,それが激烈なものであればあるほど語られることがありませんでした.もっとも身近で大切な家族にさえ.いや,自分にとってもっとも身近で大切な家族だからこそ,その後の自分という存在を根底から縛った体験の共有不可能性に対峙するのに耐えられなくて,それらの体験は語られえなかったのだというべきではないでしょうか.極論すれば,「戦後日本」は「敗戦による精神的創傷」(村上泰亮)が築き上げたものです.少なくとも私が経験したいくつかの生活史インタビューから私が学んだ「事実」――あるいは大正2年生まれ戦地経験ありで1970年に2度目の家族で3人目の息子をもうけた私の父から私が浴び続けた“オーラ”――とはそういうものでした.

しかし,そのようにして語られえなかったものによって「戦後日本」が編みあげられ,その編み目のなかで〈わたしたち〉の現在がまた編み込まれようとしているのである以上,私はその〈基底〉は言語化される必要があるだろうと思います.

おそらく,この「戦後日本」という特殊性に徹底してこだわり続ける営みをつうじて――そして,つうじて“のみ”――,〈わたしたち〉は〈わたしたち〉を超えた普遍性の次元の手触りを感じとることができるのではないでしょうか.

時代錯誤ですかね?

「階層研究」からスタートしてずいぶん遠くまできたものです.まあでも,「何も始まってないじゃないか」といわれれば返す言葉もありませんけど.

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性