英国王給仕人に乾杯!

i served the king of england.

2007年チェコ・スロヴァキア合作チェコ映画,ボフミル・フラバル原作,イジー・メンツェル監督.

プラハ近郊の田舎パブの給仕人見習いからスタートし,やがてプラハ最高のホテル・パリの給仕人となるヤン・ジーチェが主人公.百万長者のホテル王になることを夢見る背の低い小さな男ヤンが一人前になっていくのは,ホテル・パリの伝説の給仕長のもとで働くことをつうじて.お客を見ただけでどの国の何人かを瞬時に読み取り,世界中の言語を操りつつ客が何を頼むかまで正確に予言する神業をみせつける給仕長の口癖,「私は英国王に給仕した」が題名の由来.

ヤンがホテル・パリで給仕人として成長しつつあった1938年,ヒトラーによるチェコ占領を分水嶺にして物語は急展開していく.

前半,ホテル・パリに辿りつくまでのあれやこれやの件までは,正直,映画の受け止め方にとまどいましたが,あそういうことね,と悟ってからは大変楽しめました.物欲・性欲・金銭欲満点の登場人物たちがよいです.ヤンのふざけた男加減がよいですね.

豪華な料理に音楽に笑い.ヨーロッパ風上品な感じに仕上がってはいるし,「巨匠メンツェル」ということで煙に巻かれてますが,基本精神はずっと下品で,むしろドリフのコントに近いでしょうか.というか,ちゃんとコントと思って鑑賞しましょう.

ホテル・パリで働くヤンはある日,自分よりも小柄なズデーテンのドイツ人リーザに恋をする.彼女はヒトラーが全ヨーロッパのドイツ人を解放してくれることを信じ心酔していく.

どんどん「あっちの世界の人」になっていくリーザを,しかし,ヤンはずっと好きなままで,むしろリーザの願いに添えるようにと自分を彼女にあわせていく.

このあたり,あの不埒なヤンの表情がときにヒトラーにもチャップリンにもそっくりにみえてくる,そのさじ加減の絶妙さがこの映画全体の味わいどころでしょう.

それまでヤンが夜をともにした女たちに比べても性的な魅力に欠けるリーザ,なのですが,ついに自ら志願してドイツ軍の前線に旅立つ彼女を見送るヤンの独白が心に染みます.「自分より背の低い彼女だけが,目線を合わせて語り合える女性だった」.いやお前なんかに背の低い人間の気持ちがわかるのかといわれればそれまでですけどそういうことではなくて,このへんの2人のグダグダぶりやそのあとのくだりも含めてこのシーンが映画全体の白眉.

そのほか,ひょんなことから給仕をつとめることになる「優生学研究所」ではかなりブラックな細かい笑い満載のシーンが作りこまれています.そういう本作だからこその苦言――若ヤン(イヴァン・バルネフ演ずる)に比べて老ヤン(オルドジフ・カイゼル演ずる)の眼光鋭すぎ.チェコスロバキア矯正監獄での15年の厳しさが,とかいう次元ではなしに.身長もちょっとおっきくなっちゃってるしw.小男ヤンの設定台無し.もうちょっと不埒で優しいヤンのまま,悔恨と悲しみをたたえた老ヤン像が見たかったところ.

大切なのは,“一杯のビールと豪華じゃないけどおいしい料理とくだらないけど楽しい会話”を日々くりかえすことのできる世の中を守ること.私の考える社会科学の用語では「生活構造の定常性を維持可能な社会」を漸進的に構築しつづけること.ま,そういうのを「退屈な日常」というのだけれどもね.

「ズデーテンのドイツ人」というフレーズですでに明確なイメージが描ける方にはいっそう楽しめる作品.

映画終わりでビールとソーセージを買って帰ったのはいうまでもない.