it's a free world...

イギリスの労働者階級を描いてきた名匠ケン・ローチの新作を映画館でみる.ケン・ローチ作品は久しぶり.作品はテンポもよく,ハラハラドキドキ,最後まで一気に駆け抜けていく.印象的なラストシーンの後はエンドロールが流れてもしばらく動けなかった.脳天直撃.


邦題は「この自由な世界で」.「自由な世界」とは自由市場の原理が社会を一層広く覆いつつある,この世界.あるいは,貧困や抑圧的な政治体制が支配する第三世界からみえる先進資本主義国の世界.しかしそこでは,これまでのケン・ローチ作品が丁寧に描いてきた(イギリス人)底辺労働者階級が「構造」的に変容してしまった現実――自らが生きていくために(という名目のもとに)移民労働者を搾取する側にまわる現実が繰り広げられる.

あらすじの流れ自体は,これまでの作品のうち,たとえば「レイニング・ストーンズ」にも似た,底辺であるが故に強いられるドタバタ劇を描いた作品の範疇に入ると思う.けれど,「レイニング…」にはあった微笑ましさや笑い,ペーソスといったニュアンスはきれいに失われている.その感触はたぶん,明確に(あるいは素朴に)名指すことができる「敵」の消失とパラレルに関連している.ラストシーンでの,誠実そのもののウクライナ人のシングルマザーから労働移住のための金を受け取るときの主人公アンジー(彼女もまたシングルマザー)の表情といったら!

一緒にみた奥さんは,それを「悪魔の顔」といったし,ケン・ローチ作品ではじめて主人公が「わるもの」の世界,と評した.でも正確には,自分が悪魔であることを自覚し嫌悪しつつ選択したものの顔,と思う.やがて「嫌悪しつつ選択」の「嫌悪しつつ」の部分は忘却されるだろうけれども...

公園でのアンジーとその父との口論は,古きよき労働者階級vs.新しい労働者階級(からの脱出をはかる世代)の対立の代弁.「私は彼らにチャンスを与えているのよ」という論理と,その欺瞞を批判する論理.

ケン・ローチ自身,インタビュー(http://www.kono-jiyu.com/interview01.html)でアンジーのことを「数年後にはビジネスウーマン・オブ・ザ・イヤーになりそうな人物」と評しているが,まさに,日本のなんとか審議会の女性審議委員もまたかくや,といえそうな人物像ではあるまいか.

......なんかうまくいえないけど,負けたくない,と思った.

この「構造」に対して.

明日からは授業.私になしうることで,私がなすべきことは,この「構造」を分節し,認識し,そこに亀裂が入る局面を正確に剔出すること.そして,その知見をもって,教員を目指す学生たちに「教師がなしえないこと,なしうることと,なすべきこと」をちゃんと指し示すこと.日本の製造業が集積し,移民労働者(「外国人労働者」)も多く生活し,この世界同時不況が直撃してもいる東海地方で教員となる人材を,ちゃんと養成すること.

ラストシーンの「ウクライナ人」は私たちのすぐそばにいる.あの顔を忘れない.

気合いの入った一日だった.

付記:
この熱に押されて,今日は「チェ 28歳の革命」もみてしまった.「この自由な世界で」のあとで,これを観ると......長くなりすぎなので,またいずれ.