EMLS研の現況報告とEMCA者によるご助力への御礼

ここで書き留めておいた記録からすると、研究会を始めて1年が経つようです。

この間、まずは串田秀也・平本毅・林誠『会話分析入門』(勁草書房,2017年)を教科書としてみんなで読んで、「データセッション」――と呼んではみたものの、実際のところそれ以前のそのまた以前レベルぐらいのところで、お互いがどういうフィールドで、どういうデータを分析したいと考えているのかを紹介し見合う会――を並行して進めてきました。学期中は月2回、大学の授業がない期間は月1回のペースで継続しています。

人数は上記エントリ時に比べると少し増えました。私と教科教育学のドクターの院生、教員養成系マスターが3名、その修了生で現職教員(1年目)が2名、その他に社会学の院生が4名(マスター2名・ドクター2名)、そこ出身の大学講師1名と、いずれも筑波関係者でメーリングリスト登録は計12名にまで増えました。

しかし、この間の経緯で特筆すべきは、上記エントリを読んだEMCA(エスノメソドロジー/会話分析)による授業分析の専門家から声をかけていただき、(1)著者ウェブ参加による著書内容を中心とした質疑応答(前掲『会話分析入門』)、(2)著者直接参加による論文内容・研究手続き・データセッションのやり方等に関する質疑応答(論文(PDF)「指導と結びつきうる 「からかい」――「いじり」の相互行為分析」)、(3)授業場面の分析を専門とするEMCA(エスノメソドロジー/会話分析)研究者2名の直接参加によるデータセッション(研究会メンバーの提供データ2種)・およびそのやり方指南、という勉強の機会をご提供いただいたことです。

(1)は『会話分析入門』(勁草書房,2017年)の著者のお一人、平本毅さんに事前に質問文を送付、それへのリプライを文書でいただいたうえで、ウェブ参加による質疑応答に貴重なお時間を割いていただきました。初心者レベルの質問にも懇切丁寧に対応していただき、理解が深まると同時に、やはり実際にEMCA分析をされている方と直接対面する状況で訓練を積むことの重要性を痛感しました。

(2)は論文「指導と結びつきうる 「からかい」――「いじり」の相互行為分析」(『ソシオロジ』58(2): 3-19, 2013年)の著者である團康晃さんに遠路はるばる筑波まで来ていただき、やはり事前に送付した質問文へのリプライに加えて、調査からデータセッション・論文化へと続く流れについて、詳細な資料とともにレクチャーしていただきました。

以上の経緯を踏まえて、(3)では、上述の團さんと、最初に私のブログを読んでご助力をいとわない旨のご連絡をくださった五十嵐素子さんとに筑波までお越しいただき、実際に研究会メンバー提供による動画データを題材としたデータセッションを試みました。まだ場面の切り取りもできていない(=分析方針が固まっていない)段階のデータ提供や、人びとの実践の組み立て手続きを見る前に「大きなお話」へと一足飛びになっている分析方針の提示にも辛抱強くお付き合いくださり、データセッションとは何をどのようにやっていくことなのかを示していただきました。

いずれも、いくら感謝の言葉を重ねても足りないぐらい感謝の想いしかありません。あらためてこの場で御礼申し上げます。ありがとうございました。

まだまだデータセッションという実践を自力で継続可能にするためのセットアップ途中という段階ではありますが、上に述べた方々の献身的なご助力がなければ、これだけの期間でここまで来ることはかないませんでした。EM的・会話分析的に授業場面(やその他の場面)のデータを解読できるようになるには、経験者との対面状況による「訓練」の反復につぐ反復が不可欠です。その点を軽視していたわけではありませんが、実際に一緒にやっていただいて初めて、そのことの「重さ」を体感しました。

ありがたくも、今後も継続的に本研究会とかかわっていただけるとの言葉をいただき、メーリングリストにも新たにEMCA者が1名加わることとなりました(現在登録計13名)。

前掲のエントリにも書きつけているように、最初に研究会の告知をだすのはかなり気が引けたのですが、それが思わぬかたちでこうした縁につながってきました。このところ日本語で書かれた会話分析の入門書やデータ分析が示された著書、それもかなり良質の書物の刊行が続いていますし、EMCA的授業分析の本の刊行予定もあるようです。にもかかわらず、もしかしたら、授業場面の会話分析的な解読に興味がありつつ、自分の周りにはなかなかそうした関心を共有できる環境のない方がいらっしゃるかもしれません。

開催地はつくばに限定されてしまいますが、単発のご参加でもかまいせん。ご関心があれば、本ブログのコメント欄か(承認制なので私にしか読めません)、プロフィールにある twitter アカウントへのダイレクトメッセージ、またはメールアドレスまでご連絡ださい。

この間、社会学の院生が増えた関係で、授業場面以外のデータ提供者の比率が高まってきました。ですが、私たちは元来、エスノメソドロジー/会話分析(EMCA)の基礎の基礎を勉強して、教育領域でいう授業研究に取り込み、「授業場面の相互行為分析」へと展開していく可能性について模索し検討する研究会です。

ここには従来の教育(学)界における「授業研究」へのある種の批判が込められています――授業とは人びとのやりとり(相互行為)を通じて達成される実践である、にもかかわらず、従来の授業研究は「相互行為の分析」になっていない、私たちは授業研究を相互行為分析として展開したい、そのために実践が組織化される過程を記述する「精度」を上げたいと考えている者の集まりです。

引き続き、ご助力いただけるEMCA研究者も募集しております。押しかけお願いもありえます。よろしくお願いいたします。

先のエントリにも書いた文章を再録して、このエントリを閉じます。

教育学、社会学、EMCAはそれぞれ依って立つ学問的基盤において鋭く対立する契機もありますが、そうありながらも対話しつつ、教育実践を解読する水準を引き上げていく道行きへのお付き合いをお願いするしだいです。

会話分析入門

会話分析入門

宮教・林竹二・多様な教育機会

宮城教育大学で開催された教育学会第77回大会2日目の課題研究Ⅰ「義務教育を問い直すーー「教育機会確保法」の成立を踏まえて」に登壇した。そこで「「教育機会確保法」の歴史的展望ーー長く継続的な過程の一局面」という報告をした。

 

同じ部会の登壇者としてご一緒した東京シューレ奥地圭子さんと部会終了後にお話ししていて、どういう流れでそういう話になったのか、「わたし若いころ息子と一緒に南葛であった林竹二先生の授業を受けているんですよ」とおっしゃった。

 

たいへんに驚く。

 

林竹二という哲学者は、1965年に東北大学教育学部から分離、設置された宮城教育大学において、1969年から1975年まで、同大学の学長に就任している。大学紛争華やかなりし(?)頃の逸話は多い。

 

同じ頃から最晩年にかけて、日本各地の学校、とくに定時制高等学校で、授業「人間について」をはじめとするいくつかの授業を行って廻る「授業巡礼」の営みを続けた教育者としても知られる。

 

「南葛」というのは都立南葛飾高等学校の定時制課程のことである。そこで行われた授業「人間について」を、当時、リアルタイムでその場で受けていたというのである。

 

大げさに言うと、にわかには信じがたいものがある。

 

話せば長くなるが端折って言うと、私が前任校の教員養成大学で初めて教えることになったとき、「教師論」という教職科目の導入には、私自身が林の授業「人間について」を「再現」する、という試みをやり、その職場を辞めるまで、それをやり続けた。そのために湊川や南葛で行われた授業記録を収録した著書も擦り切れるほど(←若干盛った)読み込んだ。その人の名を、さっきまで同じ壇上にいた、日本のフリースクール実践・運動を30年以上にわたり牽引してきた人物の口から聞くことになろうとは。(念のため追記しておくが、林の授業「人間について」は、ある非常に大きな問題をはらんだ実践でもあるーーすばらしい授業、だがそこには重大な科学的な《フェイク》が含まれるーー私の講義では、その問題性の確認・検討と「セットで」、この授業実践を題材に教職というものを論じていくという問題設定にしていた。)

 

そんなわけで林竹二について書いていたエントリをサルベージ。

 

もう一個は、前段で本田さんの著書にひどい当たりっぷりをしている箇所が長く続いてしまうので内心忸怩たるものはあるが、そこはがあああっとスクロールで飛ばしてもらって、下の方にある「教師論」というところに当時のことをシラバスとともに少し書き込んである。

 

いろんなことが、じつはいろんな形でつながっているのかもしれない。不思議な縁だ。おもしろい。

 

明日になると恥ずかしくてとてもアップできなくなると思うので、たぶん明日には後悔することになるんだろうけども、ここにメモしておく。(部会終了後の当日記)

 

授業設計と信頼

小山虎編,2018,『信頼を考える――リヴァイアサンから人工知能まで』勁草書房

信頼を考える: リヴァイアサンから人工知能まで

信頼を考える: リヴァイアサンから人工知能まで

13章「高等教育における授業設計と信頼」(成瀬尚志)は、かつて某大学にあった「あの授業」から始まる考察。

・・・ここで検討したいことは、そうした[教える側と学生・生徒との――引用者]個別の信頼関係の構築ではなく、授業設計の中に信頼関係の構築が前提とされているか、あるいは不信が前提とされているか、という点である。(307頁)

ここで一つの仮説が立てられる。授業設計において、学生に対する信頼を前提とした授業設計は高次の学びを生み出すのではないか、というものである。(同上)

「信頼を前提とした授業設計」というとたいへん麗しく響くかもしれないが、実際にそうした授業をご覧になってみるとよい。表面上しか見ない人には非常に「フシンセツ」な授業に映る。「こんなものは授業じゃない」とまで言う人もでてくる(あるいは「これでは学生がカワイソウだ」(?)とか?)。

だがポイントは授業の「設計」である。「学生の主体性」に準拠し、またそれを引き出そうとする授業実践とはいかなるものか。そうした問題を考えたい全ての人に。(参照:たなかよしこ他,2014,「ラウンドテーブル 学生の学習効果を高めるフシンセツ授業の実践報告――教員のための手間と学生のための手間」『大学教育学会誌』36(2): 74-77.)

ここではどちらかというと大学に固有の問題設定として論じられていますが、私がかつて教員養成大学で教職科目を担当していたときにもよく言っていた話。

「(義務教育学校の)教師になったら子どもや親との信頼関係が大事」と学生さんはみんな言う。でもそこでほぼ全員が「どう信頼される教師であるか?」「信頼されるためにはどうしたらいいか?」しか考えない。そうじゃなくて、むしろ考えなきゃならないことは、あなた(教師)のほうが子どもや親をどう信頼できるか、どこまで信頼できるかじゃないの? と。

これは本ブログでも散発的に言及してきている個別化・個性化教育の「単元内自由進度学習」も同じ話。

個別の人間関係としての「信頼」ではなく、授業の設計原理(ないし評価基準)としての「信頼」。

まだ流し読み段階なのでいずれまた。
(※「単元内自由進度学習ってなに?」という方は本ブログを「自由進度」で検索してでてきた記事を見てもらうか、しかし所詮書きなぐりのブログ記事なので、できればこちら宮寺晃夫編『再検討 教育機会の平等』(岩波書店、2011年)所収の「個性化教育の可能性」を参照していただければ幸いです)

少し検索していたら、ウェブ上に成瀬さんによる記事もありました。じつは私もこの授業を見学させてもらったことがあります。

私は上記「単元内自由進度学習」という類似の原理で設計された授業を小中学校で見ていたので、授業そのものへの「戸惑い」みたいものは相対的には薄かったのですが(とはいえ、大学の大教室であれをやっていたのはすごい、あまりにすごくて笑いました ←いい意味で)、むしろ私が驚いたのは、小中学校でこういうのをやると多くの(すべての、ではない)児童生徒が嬉々として取り組むのに対して、高校まで出ちゃった人の場合、その多くの罵声怒声苛立ちがハンパなかったという実態でした。もちろん、それがわかっているからこそ、それを打ち崩すためのこの授業というわけなのでありますが。

それは日本の高校教育、とくにその中堅どころ(?)において、どういう設計原理の授業が日常となって(しまって)いるかを考えさせるところではないでしょうか。

シンポジウム「子どもの貧困対策のネクストステップを考える」

新年が明けました。しばらく放置していた本ブログですが、ぼちぼち更新していきます。今年もよろしくお願いします。

2017年10月に、末冨 芳編『子どもの貧困対策と教育支援――より良い政策・連携・協働のために』明石書店という本が出版されました。その出版記念イベントとして、各章を執筆した研究者・実践者・当事者が集い、さらには子どもの貧困対策に取り組む自治体関係者も招いて開催されるシンポジウムのお知らせです。

編者の末冨さんとは「多様な教育機会を考える会」でご一緒しており、「お知り合いの教育関係者、自治体関係者、研究者、院生さん、学生さんに広くご案内ください」とのことでしたので、こちらでも告知いたします。なお、末冨さん以外にも本書の執筆者には「多様な教育機会を考える会」のメンバーや、それがらみで森が今後イベントをご一緒する予定の方、それとは別に森が所属する研究会で一緒のメンバーもおられまして、要するに私も学生・院生複数名を引き連れて参加するつもりでおります。

参加費無料当日参加も可能とのことですが、資料準備の都合上、suetomi.nihondaigaku[アットマーク]gmail.com 宛てに「氏名・所属・参加人数・メールアドレス」を記載のうえ、事前申し込みにご協力ください(なお、問い合わせ先は日本大学文理学部教育学科事務室とのこと)。

シンポジウム「子どもの貧困対策のネクストステップを考える」


日時:2018年1月28日(日)13:00~17:30(12:30開場)
会場:日本大学文理学部・本館地下1階センターホール
京王線・下高井戸あるいは桜上水下車、徒歩8分)


■13:00~13:10 開会の言葉・シンポジウム趣旨説明:末冨 芳(日本大学


■13:15~14:15 第1セッション
「学校プラットフォームの進化にむけて――子どものための協働と学校文化の変革」
・進行:末冨 芳(日本大学
・報告者:
 柏木 智子(立命館大学)/横井 葉子(スクールソーシャルワーカー
 行政1(広島県)/行政2(静岡市


■14:30~15:30 第2セッション
「若者への支援を考える――大阪・神奈川の居場所カフェと東京のユースソーシャルワーク
・進行:白川 優治(千葉大学
・報告者:
 梶野 光信(東京都)/柊澤 利也(東京都)
 野田 真由美(大阪府高校SSW、み・らいず)
 石井 正宏(パノラマ理事長)/村尾 政樹(あすのば事務局長)


■15:45~16:45 第3セッション
「学習支援と生活支援――子どもと家族に寄り添う支援をどう普及させるか?」
・進行:佐久間 邦友(郡山女子大学
・報告者:
 渡 剛(あっとすくーる理事長)/川口 正義(スクールソーシャルワーカー
 杉村 佳代子(てのひら副代表)/畠山 由美(だいじょうぶ理事長)


■16:45~17:15 フリーセッション
「子どもの貧困対策のネクストステップを考える」
・行政事例紹介:逗子市


■終了後、名刺交換会 17:30まで


■18:00~20:00 懇親会

内容はもちろんのこと、終了後に名刺交換会の時間もある、充実のシンポジウムです。

なお、前掲著書(末冨 芳編『子どもの貧困対策と教育支援――より良い政策・連携・協働のために』明石書店)について、出版社サイトでの内容紹介から。

子どもの貧困問題を「なんとかしたい」と考えている全ての人のための本。子どもの貧困そのものではなく、「どのように子どもの貧困対策を進めればよいのか」に焦点をあて、最前線で挑戦を続ける研究者・実践者・当事者たちが協働した。自治体・学校関係者必携。

目次


第1部 教育支援の制度・政策分析
第1章 子どもの貧困対策と教育支援(末冨 芳)
第2章 乳幼児期の貧困とソーシャルワーク(中村 強士)
第3章 子どもの健康支援と貧困(藤原武男)
第4章 スクールソーシャルワーカーを活かした組織的・計画的な支援――義務教育の学校からのアプローチ(横井 葉子)
第5章 ケアする学校教育への挑戦――排除に抗するカリキュラム・マネジメント(柏木 智子)
第6章 就学援助制度の「課題」――就学援助率はどのような変数の影響を受けているか?(末冨 芳)
第7章 制度化される学習支援――制度化によって学習支援はどう変化するか(佐久間 邦友)
第8章 高校における中退・転学・不登校――実態の不透明さと支援の市場化(酒井 朗)
第9章 貧困からの大学進学と給付型奨学金の制度的課題(白川 優治)


第2部 当事者へのアプローチから考える教育支援
第10章 静岡市における学校プラットフォーム化(末冨 芳・川口 正義)
第11章 高校内居場所カフェから高校生への支援を考える(末冨 芳・田中 俊英)
第12章 ユースソーシャルワーカーによる高校生支援(梶野 光信・柊澤 利也)
第13章 生活支援からの子どもへのアプローチ――「認定NPO法人だいじょうぶ」の実践から(畠山 由美)
第14章 より効果的な学習支援への挑戦(渡 剛)
第15章 当時者経験から伝えたい子どもの貧困対策(佐藤 寛太・久波 孝典)
終 章 「すべての子どもを大切にする」子どもの貧困対策(末冨 芳)

子どもの貧困対策法の成立や、生活困窮者自立支援法にもとづく学習支援事業の実施などを通じて、徐々にではありますが、ここ日本でも「子どもの貧困(対策)」というアジェンダは一定の認知を得つつあります。本書ならびに本シンポジウムは文字通り、「その次のステップ」を考え模索する実践・行政・研究の各界の垣根を越えた取り組みです。

当該テーマに関心のあるすべての人に、おすすめします。

子どもの貧困対策と教育支援──より良い政策・連携・協働のために

子どもの貧困対策と教育支援──より良い政策・連携・協働のために

EMLS研

授業からのスピンオフで、教育系の院生数名と小さな研究会を始めました。エスノメソドロジー/会話分析(EMCA)の基礎の基礎を勉強して、教育領域でいう授業研究に取り込み、「授業場面の相互行為分析」へと展開していく可能性について模索し検討する、初心者たちの研究会です。

当面は串田秀也・平本毅・林誠『会話分析入門』(勁草書房、2017年)を1章ずつ読みながら、データセッションも交えつつ進める予定です。メンバーは、教科教育学を専門とする研究者養成系大学院のドクターと、教員養成系大学院のマスターと、私、の6名です。場所はつくば。基本的に金曜の19時半から(大学の学年歴の関係でずれるときもあります)。月1~2回の開催頻度を予定しています。

さしあたり、(1)テキスト(串田他『会話分析入門』)1章ずつ&他の論文1本の文献検討(※後者は「ガチのEMCA、からちょっとだけ他の領域も意識した」、「でもEMCAの手法を取り込んだ実証分析を試みて(提示して)いる文献」的な文献を、当面は森がチョイスしたものを指定、その後、各自該当する文献を見つけた時点で随時提案)と、(2)テキスト(同上)1章ずつ&データセッション、の2つの形態を並行させながら進めていきます。

EMCAの専門家はいません。EMCAの専門家を目指そうとする研究会でもありません。授業研究を相互行為分析として展開したい、そのために実践が組織化される過程を記述する「精度」を上げたいと考えている、あるいは近い将来現場に入って教育の実務家(教師)としてよりよい教育実践を探っていくための「ものの見方」の手がかりを得たいと考えている、非EM者による研究会です。私以外は(教科)教育学的な関心から、授業分析にEMCAの要素を取り入れる可能性を検討しています。私の研究関心については下記の通りです(初回顔合わせでの自己紹介レジュメから)。

ご関心があれば、問い合わせてください。誰でも歓迎します。また、EMCAの専門家の方のご助力もいずれお願いできれば幸甚です。教育学、社会学、EMCAはそれぞれ依って立つ学問的基盤において鋭く対立する契機もありますが、そうありながらも対話しつつ、教育実践を解読する水準を引き上げていく道行きへのお付き合いをお願いするしだいです。

正直にいえば、このような研究会の告知をするのはいささか気恥かしくもあります。その歳になって始めてお前の人生に間に合うのか? と問われれば、間に合わないかもね、と答えるしかありません。でもうまく若い人を巻き込めれば、そこに道ができるでしょう。『ワードマップ エスノメソドロジー』(新曜社、2007年)所収の小論「EMにおける実践理解の意味とその先にあるもの」の言うことをまともに受けとめて始めます。

数年前にフィールドワークを始めたときにも検討はしました。が、諦めました。その後、宿題をためたまま塩漬けにしてしまっていたところ、今年になってたまたま大学の中央図書館で再会した上記ドクターの院生と同じ問題意識で意気投合し、教員養成系大学院の授業に指定し、あらためて少し勉強して、一念発起しました。フィールドワーク中にお世話になった方々に、何かもう少し形になったものをお返ししなければとの思いもありました。

そんな感じです。

「個別化・個性化教育」における実践の編成――その記述に向けた覚え書き


(A)森直人,2011,「個性化教育の可能性――愛知県東浦町の教育実践の系譜から」宮寺晃夫編『再検討 教育機会の平等』岩波書店:115-146.
(B)森直人,2014,「〈教育的なるもの〉再考――「福祉国家と教育」をめぐって」広田照幸・宮寺晃夫編『教育システムと社会――その理論的検討』世織書房:173-189.


I. 2 論考のポイント要約
(A)苅谷テーゼ(教育の「自由」化・「個性」化=格差拡大(格差の世代間連鎖の固定化・強化))の問い返し

  • 1970s 末~

‐愛知県東浦町立緒川小学校:成田幸夫(・安藤慧)、加藤幸次
‐オープンスクール建築(1 コマ85 分、チャイム廃止)
‐「6 つの学習態様」:
指導の個別化 ← はげみ学習/集団学習/週プロ/総合的学習/オープンタイム/集団活動 → 学習の個性化

  • 2000s~

‐石浜西小学校への導入:「2 教科同時進行単元内自由進度学習」「自由活動型総合学習」・・・「○○学習」(←「週間プログラム学習」)と「わくわくフリータイム」(←「オープンタイム」)
‐「2 教科同時進行単元内自由進度学習」=「○○学習」(学習パッケージによるコース別一人学び・・・「学習の手びき」「学習カード」と「学習環境」

  • 主張:苅谷テーゼの一面性、すべて実証上の争点(=帰結はオープン)

‐「規律化の弛緩」vs.「学校への誘導」「許容から規律へ」
‐古典的再生産論(対応原理・見えない教育方法)vs.「自己モニタリング」「個別=共同学習」「教育的視線の濃密化・精緻化」


(B)「個別化・個性化教育」実践プログラムの「似て非なるもの」への変容:「同じ実践」の差異

  • 仁平テーゼ(「教育的」価値/論理/意味論が社会権を蝕む(=「無条件の生存保障」の切り下げ圧力))の問い返し・・・「教育的」の両義性(多義性)の示唆
  • 主張:石浜西小の「わくフリ」=社会権(=無条件の生存保障)的な時空間の実現


II. 新たな問い:「同じ実践プログラム」が「異なる実践」の編成につながるのはなぜ/いかにしてか?

  • 「同じ」教育実践プログラム

愛知県東浦町立緒川小学校,1983,『個性化教育へのアプローチ』明治図書
――――,1985,『自己学習力の育成と評価――続・個性化教育へのアプローチ』明治図書

  • 石西の実践の「ゆるさ」

cf. 「そこそこ」のパッケージの積み重ね(竹内淑子 2017)

  • 2教科同時進行単元内自由進度学習:週プロ/○○学習

「教師が苦しくなるような学習カードは作りたくない」「発問を切り出しただけの学習カードでも十分に子どもは勉強する」「緒川や卯の里ではこまめに口出し…石西ではそこまでやり込まない」

  • 自由活動型総合学習:オープンタイム/わくフリ

‐「似て非なるもの」:何か違う、教師に気づかれてはいるけれど記述・説明されない差異
‐他領域に「通じる/理解される」実践:「すごくよくわかる」、保育・仏 RMI(参入支援最低所得)・フリースクールオルタナティヴスクール・「ひきこもり」就労支援・「居場所」づくり実践…… etc. →→ 「福祉的/ケア的」ラベル貼りでは理解は進まない

  • 教育実践の「機能」をめぐる論点:伝統的な社会学の問題設定

‐従来の教育社会学的仮説(テーゼ):階層間格差の拡大・固定化・正当化
・教師による恣意的な教育実践の使い分け:古典的再生産論
・教育実践の不在/からの撤退、子ども中心主義のパラドクス: Sharp and Green 1975、潮木守一 etc.


‐森仮説:低階層・貧困層外国籍児童の学力保障と社会的包摂


だが、そもそも/その前に......


  • 問い:「同じ」はずの教育実践プログラムが、なぜ/いかにして、「異なる」のか?

→答え:相互行為(=実践を組織化するのは教師だけでなく子どもも)だから


(1)実践を正当化する教育理念
(2)理念と関連づけられて定式化された技法(=具体的な状況を超えて利用可能な方法的知識)の集積体である実践プログラム
(3)設計図としての実践プログラムを参照しつつ(=利用可能な方法的知識の適切な運用を通じ)、具体的な状況に応じて組織化される教育実践

→ (3)のモメントの記述的解明

  • 「記述」をめぐる論点:EMCA か?

・これまでの「記述」
(A):最終的に統計的因果効果の分析へと収斂させる(=変数や因果・媒介関係の探索の)ためのパイロット・サーヴェイ的な記述
(B):第3 節「教育的なるもの〉の空隙の学校空間への埋め込み――石西「わくフリ」の実践から」の民族誌的(エスノグラフィック)(?)な記述

  • EMCA との研究志向上の根源的な違い/距離

・データの「外」にある変数(への視点)の持ちこみ(?):串田他『会話分析入門』第3 章第4節
定量的・統計的因果分析の基盤構築(?):同上

会話分析入門

会話分析入門

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ (ワードマップ)

盛会御礼「公教育の再編と子どもの福祉――「多様な教育機会」の視点から」@日本教育学会ラウンドテーブル

去る8月25日(金)に開催された日本教育学会第76回大会ラウンドテーブル「公教育の再編と子どもの福祉――「多様な教育機会」の視点から」は、おかげさまで50名弱におよぶ方々にご参加いただきました。教室が満杯の状況に戸惑いながらも、たいへんありがたいことと感謝しております。

いかんせん参加者の多さと、あとは登壇者の方々の報告・コメントの重厚さ(≒時間の長さ)のため、あまり議論の時間をとることができず、ほとんどラウンドでもテーブルでもない、テーマ部会的発表の場になってしまったことが若干の心残りです。いろいろとお考えのこと、確認したい点、疑問の点があっただろうと想像します。あそこから、さらに倍ぐらいの時間をかけた議論が可能なぐらい、参加者と報告との分厚さがあったのではないかと思います。

それでも最初にご質問いただいたMさんのご指摘はたいへん正鵠を得るものであり、わたしたちの研究会の今後に向けて、たいへんよい宿題をいただきました。また、2番目のIさんからのご質問も、実践的な視点から「義務教育の前後」をつないで考える必要性にあらためて気づかせていただくものでした。ありがとうございました。

当日朝の北陸地方における大雨のため、登壇者のうち複数人の会場到着が危ぶまれるなど、直前までバタバタしてしまい、いくつか不手際があったことをお詫びいたします。

そのうち、当日配布できなかった畠中亨さんによるご報告「「教育と福祉の連携」が目指すもの――子どもの貧困対策の政策過程分析」のパワーポイント資料については、会場でお約束したとおり、「多様な教育機会を考える会」ウェブサイトのこのページにあるリンク先から 9月17日までの期間限定 でダウンロードできる【終了しました(2017. 9.18)】ようにしてあります。ご入り用の方は、必ず期日までに入手してください(締め切り後のご要望にはお応えできませんので、悪しからずご了承ください)。

今回いただいた宿題を精査したうえで、引き続き研究会での検討を発展させ、近い将来、ふたたびみなさんにイベント告知ができるよう精進いたします。よろしくお願いいたします。

なお、「多様な教育機会を考える会」はつねに新規参加希望者に開かれておりますので、ご関心の向きは上記ウェブサイト・ホームページにある事務局宛てにメールをお送りください。

取り急ぎ御礼かたがたご報告まで。<(_ _)>

(告知)比較教育社会史研究会 2017年 秋季例会プログラム

比較教育社会史研究会、今年の秋季例会のお知らせです。

第1部、たしかに職業教育、社会福祉職養成とジェンダーというのはとても重要な視角です。第2部「医療と教育」は今後継続される予定のセッションだそうです。そこでは大学院生の方のご発表もあるようです。

研究会「第四世代」というのは、これは望田先生が「第一」? んで橋本・広田らへん「第二」の、今の主力の方々が「第三」、とこういう数え方? とすると、いまの比較教育社会史研究会はたとえるならウンナンダウンタウンとんねるず時代です。

冗談です。

ご関心の向きはぜひ。

比較教育社会史研究会 2017年 秋季例会プログラム


日時:2017年11月19日(日)
会場:青山学院大学渋谷キャンパス・総研ビル8階・第10会議室


【プログラム】
第1部 「ジェンダー部会」セッション(12:30 ~15:00)
司会:北村陽子(愛知工業大学
報告者:
畠山禎(北里大学)「帝政末期ロシアにおける女子職業教育機関生徒の進路」
杉原薫鹿児島大学)「前世紀転換期ドイツ・ベルリンにおける女性社会福祉職の養成と進路」


第2部 「医療と教育」セッション(15:30~18:00)
司会:三時眞貴子(広島大学
報告者:
増田圭佑(広島大学(院))「20世紀初頭ロンドンにおける学校医療サービスの展開(仮)」
七木田文彦(埼玉大学)「経験と分断された身体の行方―健康をめぐる近代的身体の一断面―」
コメンテイタ:高林陽展(立教大学


懇親会(18:30~)

連絡先:岩下 誠(青山学院大学